高校時代。
自分で言うのもなんだけれど、小・中学校時代は真面目を絵に描いたような模範的な子供だった。そのせいか高校に入って反動が出た。きっかけは軽音楽部で知り合った友人たちだった。バンドを組んで、音楽ばっかりやっていて、授業はしょっちゅうさぼったし、不良を気取ってバカなこともした。でも、ほんとに魅力的な仲間たちだった。バンド仲間のうち3人は大学に行かずに自分の好きな道を選んだが、それは進学校だったその高校でちょっとした事件だった。自分にはそこまでの勇気はなかった。「将来、何になりたい?」という問いには、まだ答えられなかった。
浪人時代。
今から考えると、不思議な1年だった。浪人中に昭和天皇が亡くなり、バブルはそのピークを迎えようとしていた。19歳の自分の目にも、世の中が大きく変わろうとしているのがわかった。経済やビジネスというものに、初めて興味を持った。いま目の前で起こっている出来事の原因や本質はどこにあるんだろう? いろんな人がいろんなことを言っていたが、どれもこれも何か違うような気がして、自分なりに調べてみることにした。そんなことばかりやっていたら、志望学部を落ちた。
大学時代。
新しく知り合った仲間たちとバンド活動を再開したが、浪人時代に目覚めた興味は音楽だけには留まっていなかった。海外旅行もそのひとつ。お金を貯めて年に一度海外でホームステイした。旅行の度に自分の思考のフレームが大きくなっていくような気がした。海外に行くと、そこにあって日本にないものを探した。コレは日本に持ってきたら絶対当たるなと思ったら、次の年に商社が輸入したりして、自分の感覚にちょっと自信を持った。当時ブームだった学生起業家の話を聞きに行ったりしたこともある。こんなふうにして私のやりたいことは、音楽からビジネスに入れ替わった。でも、ずっと一緒にやってきたバンド仲間に、音楽を辞めると言い出すのはつらかった。自分以外のメンバーはプロ志向で、デビューの可能性があっただけになおさらだ。最後のライブ。楽屋で泣いた。あの時から楽器には触っていない。
アクセンチュア入社後。
面接で会った人たちにインスピレーションを感じて、アクセンチュアに入社して以来9年。これまでさまざまな業種のクライアントを相手にプロジェクトを経験してきた。すべてのプロジェクトが思い出深く、その度に自分は成長できたと思っている。延べ2年間にわたる海外での経験も、より高い視点を持つ時間として有意義だった。他の会社で働いた経験はないけれど、アクセンチュアのような環境を提供してくれる会社はそうはないと思っている。でも、この環境に甘えたくない。仕事にはいつも後がないという気持ちで向かい、それがコンサルタントとして生きている最低限の心構えだと思っている。失敗してもどうにかなるだろう、転職すればいいやとは絶対に思いたくない。それに、もしそんないい加減な気持ちでこの仕事をしていたら、あの仲間たちに笑われてしまう。「なんだよ、お前が音楽の代わりに選んだものって、そんなもんだったのかよ」って、ね。
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