Thursday, December 30, 2004

天邪鬼な情熱家

16歳。

あまのじゃくな性格、だと思う。他人とは違うことをやりたいという気持ちが、いつもどこかにある。高校時代は絵を描いていた。普通科の進学校。賢いやつらばかりの中で、自分の賢さが消えた時、アイデンティティを表現するのは好きな絵しかないと思った。内緒でアルバイトをして、稼いだお金で美大の受験予備校に通っていた。シュールレアリスムやダダイズムに憧れて、無意識を絵にしたいと思った。あの頃の絵を見ると、暗くて、青臭くて、恥ずかしい。でも、いろんな矛盾を抱えながら必死になって闘っていた10代の自分が確かにそこにいたんだなって、思う。



18歳。

結局、絵の道は諦めて、英文科へ進んだ。しばらくは特にやることもなく、ぶらぶらしていた夏、地元の木曽川べりを車で走っていたら、ウィンドサーファーたちが風に乗ってかっとんでいた。なぜか無性に感動し、これだ!と思った。すぐにショップに駆け込んで、道具一式をローンで買った。その日から、ウィンドサーフィンが生活の一部になる。風のある日は、いつも海か川にいて、そこには、いつもの仲間たちがいた。3年の時、ライダーと呼ばれるスポンサー付きのセミプロになった。できることなら、プロになりたかった。でも、ウィンドだけじゃ食っていけないこともわかっていたから、すぱっと諦めた。中途半端は好きじゃない。



22歳。

就職先にこだわりはなかった。銀行、住宅メーカー、情報関係の出版社、消防士の試験まで受けた。どこも面白そうだったけれど、どこも決め手に欠けた。就職活動のシーズンも終わりに近づいた頃、アクセンチュアのセミナーがあった。そこに行くまで、コンサルタントにはどこか人間味に欠けた冷たいイメージを持っていた。でも、それはまったくの誤解だった。セミナーでも個別面談でも、語りかけてくるアクセンチュアの社員たちは、みんな情熱的で熱かった。彼らの目は、風が吹けば必ず集まってくるウィンドサーファーたちにどこか似ているような気がした。受け身ではなく、自発的にやれるような仕事がしたい。そう思っていた僕にとって、アクセンチュアは最高の場であるように思えた。



25歳。

入社以来、クライアント企業の情報システム部門の仕事に携わることが多い。とても充実した5年間だったけれど、一度だけ会社を辞めようかなと思ったことがある。上司にさりげなく相談したら、僕の気持ちを見透かすように言われた。「おまえは、アクセンチュアでできることをやったのか?」はっとした。その頃の自分は、わがままだった。やりたい仕事ができないと焦り、それを環境や誰かのせいにしていたのだと思う。自発的に働きたくてアクセンチュアに入ったのに、なんのことはない受け身で仕事をしていたのだ。上司の一言で、意識が変わった。与えられた仕事だけでなく、自分から働きかけるようになった。働きかければチャンスはやってくる。コアコンピタンスがないこと。それが僕の強みなんじゃないかと思っている。僕はあらゆることに興味が持てる。環境が変わっても全然苦にならないし、目標に向う瞬発力とスピードにはちょっと自信がある。マネジャーになった今も、「市川をつっこめば、なんとかなる」、と頼られる存在であり続けたい。

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