Thursday, September 29, 2005

フリーエンジニアになると、どんな生活が待っているのか

首都圏コンピュータ技術者協同組合 SE,プログラマの独立を支援
http://mcea.jp/

野口和裕2005/9/2
フリーエンジニアになると、どんな生活が待っているのか。そもそもフリーエンジニアで食えるだろうか。@IT自分戦略研究所で以前「実録:私がフリーエンジニアになるまで」を執筆した筆者が、フリーエンジニアになった以後を振り返り、その疑問に答えよう。
 フリーエンジニアになって3年以上たちました。その間にさまざまな出来事がありました。今回は、フリーエンジニアになった後、私なりに気がついた点を述べさせていただきます。フリーを目指すエンジニアだけでなく、将来のことを考えているエンジニアのお役に立てれば幸いです。なお、フリーエンジニアになるまでの経緯については、「実録:私がフリーエンジニアになるまで」をご覧いただければと思います。
■フリーになって
 フリーになる前は、フリーといえば緊張の毎日でその日その日をしのいでいく……、というイメージでした。フリーになった当初こそ、少しバタバタしていたのですが、その後は常に安定しています。
 現在は営業・顧客折衝・上流設計担当のパートナーと、製造を担当するパートナーとでチームを組んでいます。私の仕事はそのチームで外部設計・内部設計といった上流から製造への橋渡しを担当するSEとしての業務と、主にSE向けの人材育成の仕事です。
 会社員時代の管理職としての仕事や、そのほかの雑用から解放され、自分の得意分野に専念でき本当に楽しい毎日です。フリーになって良かった、そう感じています。
■フリーで大切なこと
 いまが順調である理由を考えてみると、信頼できるパートナーがいるということが大きいと思います。
 フリーでは営業していては仕事ができない、仕事していたら営業ができないというジレンマがあります。そういった中、それぞれの得意分野、専門性を生かしてチームを組むと、良い相乗効果が生まれます。
 私はパートナーのおかげで、私はほとんど営業活動しなくてもよく、また製造においても、とても優秀な信頼できるパートナーがいるので、自分の得意分野に専念することができます。フリーで大切な能力は(フリーに限らないかもしれませんが)、仲間と信頼関係を築けることではないかと思います。信頼関係を築くという能力は、結局人間性の問題だと思います。スキルではないのでしょうね。抜群のコミュニケーション能力を持っていたとしても、不誠実であれば信頼を築くことは難しいですから。
 ビジネスといっても、最終的には人と人のかかわり、関係だと思います。会社員のような後ろ盾のない、フリーであれば、なおさらです。
■プロであるとは
 ここで少し話が変わって、皆さんにとって「プロであるとは」、どういうことだと思いますか。私は昔、お金を稼げることだと思っていたのですが、少し考えが変わりました。周囲の人とWin-Winの関係を目指して、それを実現する努力を惜しまないこと。いまはそう思います。
 顧客に満足を与えても、自分が納得していなければ、プロと呼べないと思います。顧客以外にも、例えば一緒に仕事をしている外注さんがいた場合、その外注さんが不満ではいけません。自分も満足、顧客も満足、外注さんも満足という関係を作れることがプロの証だと私は思います。
 高度に専門的なスキルを持った人でも、自分がよければいいという人がいると思いますし、わが身を犠牲にしてまで顧客に尽くしている人をみたら、プロというより奴隷かな、と思います。意外とこういう人多くありませんか?
 Win-Winの関係を目指すのは簡単ではないと思います。まずは、自分のWinをはっきり認識し、主張する勇気が必要です。さらに顧客のWinを顧客の立場(自分の立場でなくて)で考えることも必要です。最後にその両方をWin-Winに持っていく。難しいかもしれないですが、最後まであきらめたくないことです。それができてこそ、プロフェッショナルだと思うのです。
 私はたいした能力も、胸を張る資格もないのですが、私たちがパートナーと共に常にWin-Winを目指していたから、ここまで順調だったのではないかと思います。
 結局Win-Winでなければ、継続して良い仕事はこなくなると感じています。
 皆さんにとっての「プロであるとは」とは何でしょうか。
■キャリアの開発
 資格というのは、自分を1つの商品とみたてて、その市場価値を上げるために取るわけですが、自分という商品をどうするかを考える前に、まず顧客とは誰か、そして自分がその顧客に与える価値とは何か、という観点で考えることが大切だと思います。
 商品を開発するときは、まず顧客像をはっきりさせますよね。マンションを作るときは、高齢者向けか、ファミリー向けか、はたまたDINKSか、それによって間取りやデザインも変わってきます。自分自身のキャリアも同じではないでしょうか。
 私の思う顧客像は……
金額よりも品質を優先するお客さま(多少高くても良いものを望まれる)
お互いの利益を尊重していただけるお客さま(なかなかステキなお客さまですよね)
 こういう顧客の立場から見た、契約したいSEの価値とはどういうものであるか、という視点で考えます。ITスキルはある程度以上あることはもちろんのことですが、それにプラスして業務スキル、さらにはヒューマンスキル(+人間性)が必要だと思います。
「このSEは、ここまで俺たちのことを考えているのか」と思われるぐらい、顧客の立場になるSE」「運用の最後まで、収益がきちんとでるところまでフォローしていく」。そんなSE。
 そうであれば、納得していただけるのではないかと思います。
 「多少高くても良いものを」と望まれるお客さまの期待、価値を裏切らないように、そういう視点で足りないところ(だらけですが)を磨いていきたいと思っています。のです。
■収入について
 さて、皆さんが気になる収入の話です。
 会社員時代よりは上がりました。しかし、それ以上に大切と思われるのは、収入の「入り口」を分散できる、ということかもしれません。
 会社員の収入は、基本的に1つの会社からですが、フリーの場合は、1つに限らずいろいろと広げていくことが可能です。IT関連にかかわらず、自分のやりたいことを見つけて、時間のあるとき、少しずつ種まきし収入に結びつける、なんてことができます。
 例えば会社員の場合、カレー屋を開業したい場合、副業が認められていない場合、会社を辞めるしかないですが、フリーの場合は、カレー屋を開きつつSEをすることは不可能ではありません。ランチタイムと夜はカレー屋の店頭に立ち、空き時間にプログラムの設計です。夜中は仕込みかデバッグか……。
 株式投資でリスクを減らす1つの方法として、分散して投資する方法がありますが、収入を分散することは社会生活のリスクを減らすことに効果的です。
 私もいま、興味あることを見つけて勉強会や研修などに参加して、将来の商売のネタにしていこうと計画中です。どこまでビジネスになるのか未知数ですが、リスクヘッジというより、好きなことをしている時間はとても楽しいです。好きこそものの上手なれで、いつかこちらが本業になるかもしれません。カレー屋ではありませんよ、ちなみに。
 また、フリーになると確定申告は自分でしなければなりません(税理士さんに代行してもらうにせよ)。自分の収入、経費、いくら税金を払っているかが把握できます。頑張れば収入は増えるし、努力すれば経費を減らせます。税金だけはどうにもなりませんが、それでも、工夫の余地は会社員よりはあります、今後自分の資産運用を自分で管理する時代になりそうですが、これはとてもいい勉強になります。
■フリーの形態
 最近、私は会社(有限会社)を設立しました。フリーがある程度軌道に乗ったら節税、そのほかいろんな点でメリットが多い会社設立を検討することをお勧めします。
ポイントは、
ある程度の収入が継続して見込める
もう会社員にはもどらないと決意した
だと思います。ある程度収入があっても、その波が激しければ、かえって損をしてしまうかもしれません。また、個人事業主であれば、入ってきたお金を自由に使えますが、法人だと、その自由はある程度制限されます。何といっても会社のお金ですから。
 しかし、個人事業主は退職金や年金(国民年金)の点で不利なことは否めません。将来のハッピーリタイヤ(私は目指せ生涯現役で、必要ないと思っていますが)に向けて利益の先送りがある程度できる法人化は検討した方が良いと思います。
 また、法人化すると、いままで考えていなかったような経営者の視点で物事を見るようになります。書籍を読んだりセミナーに参加しただけでは、この視点はなかなか実感できませんでした。
 会社の設立登記は、規制緩和のおかげで比較的簡単にできます。私も、司法書士に頼まず自分でやってみました。法務局や公証人役場など思いがけずていねいに教えてもらえました。やってみると、自分の会社を自分で作る、「俺は社長だ!」。そんな実感がわきます。自分の会社名を考えたりするのも楽しいですし、会社印ができたときもうれしくて、そこいらじゅうにペタペタと押しました……。
■フリーになってのメリット/デメリット
 ここで、私がフリーになって感じたメリット、デメリットをまとめてみます。
メリット
(1)独立することで、姿勢が消極的(与えられた仕事)な姿勢から、積極的な姿勢に変わり、このことが人生についても深く考えるきっかけになった。
(2)自分に対する評価をすぐ知ることができる(厳しい評価でもすぐ分かることはいいはず)。
(3)時間配分が自由にできるので、家族との時間が増えた。ひょっとして家族は迷惑かも。ただし、どこかに常駐して仕事をする場合はこの限りではありません。
(4)雇用関係でなく、信頼関係で結ばれた本当の仲間ができた。
(5)収入の「入り口」の分散化(多角化)が会社員よりは容易。
(6)経営者の視点が経験できる。
デメリット
(1)1人で仕事していると孤独を感じる。これは結構厳しいです。普段から飲み友だち、興味のあるコミュニティ仲間などを作っておきましょう。
(2)私は幸いにも経験ありませんが、契約をきちんとしておかないと、取引先と支払いがないといった法的なトラブルがあった場合は大変のようです。
(3)病気や怪我などで働けなくなったときの保障(これらをサポートする仕組みもあるようです)。
■自分戦略
 いま思うと会社員時代は、今後どういうスキルを持っていたら安泰か、飯が食えるのかでキャリアや自分戦略を考えていました。
 フリーになってからは、どうしたら自分の価値観(大切にしているもの)を仕事を通じて実現できるだろうか、という観点で考えるようになりました。
 なぜ、そのような心境の変化があったのかを考えると、フリーになってからは、自分の行動は自由に決めることができます。その自由が、人生について深く考えさせてくれるのだと思います。
 結局、フリーになって一番良かったのは、自分の価値観を発見できたことです。
 ここでエイブラハム・マズローの言葉を引用させてください。
「どう行動するべきかをいつも社会が教えてくれる世界、すなわち、社会が次のステップを指図して、エスカレーターに乗せてくれる楽な世界では、自分の弱みや失敗に直面することがないだけでなく、自分の強みを知ることもない。」(『フリーエージェント社会の到来』ダニエル・ピンク著、ダイヤモンド社刊)。
 いま、この言葉を実感しています!

Tuesday, September 27, 2005

完全用Linux工作,摈弃Windows

我已经半年没有使用 Windows 的方式工作了。Linux 高效的完成了我所有的工作。

GNU/Linux 不是每个人都想用的。如果你只需要处理一般的事务,打游戏,那么你不需要了解下面这些了。

我不是一个狂热的自由软件份子,虽然我很喜欢自由软件。这篇文章也不是用来推行自由软件运动的,虽然我觉得自由软件运动是非常好的。

这篇文章也不是用来比较 Linux 和 Windows 内核效率,文件系统,网络服务的。我现在是作为一个用户而不是一个开发者来说话的,我们的讨论是基于操作,应用层面的。是为了告诉大学里还不了解,或者不理解 UNIX 的科学工作者和大学生,UNIX 比 Windows 更适合用于科学研究工作,请大家理解 UNIX 的工作方式,不要用 Windows 的标准来要求 Linux,而要用一个科学工作者的标准来要求自己,用UNIX 的思想来武装自己。

我显然是反对在大学,特别是理工科专业推广 Windows 的。我也反对在对"娃娃"们的计算机启蒙教育中使用 Windows。因为 Windows 不论从技术上,经济上,思想风格上都是与我们培养高科技人才的目标格格不入的。Windows 的流行属于历史遗留问题,爷爷一级的人当然已经不可救药,但是我们不应该让下一代继续走上歧途。

UNIX 不是计算机专家的专利

当我建议一些非计算机专业的人用 Linux 的时候,很多人说:"UNIX 是计算机系的人用的,我们不能理解。" "UNIX 是男孩用的,我们女孩不用。"

但是其实世界上的大多数科学家和工程师几乎用的都是 UNIX 作为他们的电脑工具。就因为它简单,可靠,稳定,强大,有趣。甚至很多时候 UNIX 就是唯一的选择。

你说:"我们都会用 UNIX 的话,你们计算机专业的人还用来干什么?" 很容幸的告诉你,计算机专业的有一部分人就是专门为你们提供这样强大而方便的计算机工具的。如果他们制造的工具只有自己会用的话,那这个工具还有什么用?

理解 GNU/Linux 不要用 Windows 的标准来要求 Linux。

由于GNU/Linux这个词太长,下面如果没有特别指明,"Linux"就是指GNU/Linux"。

在这个年代,恐怕没有人需要我来介绍 Linux 是什么了吧?如果你觉得"Linux 只不过是跟 DOS 差不多的东西",那请问问你旁边的 Linux 用户,Linux 到底是什么?

那为什么我还要写一篇这样的文章?因为,我发现还有很多人不不理解 Linux 和 UNIX,虽然他们也在用它,但是他们有时会问:"为什么 Linux 不能像 Windows 那样 ……?","怎么Redhat Linux不能 mount NTFS 分区!","Linux 下用什么整理硬盘?","什么时候OpenOffice才能完全兼容Word文件啊?","现在还有什么Windows能干的事情Linux干不了的?"……

他们有40G的硬盘,却只为 Linux 分配了2G空间,有时还抱怨"这个东西怎么占这么多硬盘!" 似乎 Windows 该占用大部分硬盘。他们把重要的数据装在Windows的分区,似乎信不过Linux。他们总是到处寻找新奇的,好看的GUI程序,对命令行的东西一概不屑一顾。他们对Drag&Drop,菜单配置,自动升级非常感兴趣。他们如果找到一个很像 Windows 程序的 Linux 程序,一定会很高兴的说:"哈哈!Linux 也能……了!"如果Linux在某种测试中胜过Windows,他们会高兴得跳起来。他们没有办法用Linux 解决问题的时候,甚至用Wine来运行Windows程序。有时实在没办法,只好重起到Windows,或者干脆省得麻烦,在 Windows 下装一个 VMWare 虚拟一个 Linux 玩。

你如果出现了上面的情况,说明你的思想受到了 Windows 的某种潜移默化的影响和误导。你没有能够从本质上理解存在于 Linux 身上的 UNIX 思想。你支持 Linux,你喜欢 Linux,你能从中感觉到快乐,这非常好。你现在只需要明白的是:Linux 从来就不是一个玩具,它是天才UNIX的后代。UNIX 是自晶体管发明以来最伟大的发明,它从诞生那一天开始就比 Windows 的设计出色。

你要体会什么叫做"设计",一个糟糕的设计并不是到后来缝缝补补就可以变好的,而一个出色的设计,不但可以以不变应万变,而且可以影响到后来者。一个出色的设计配上一个出色的实现,那就是非常出色的发明。Linux 就是这样的一个出色的发明。Linux 并不需要追赶 Windows,也不需要打垮微软。它的最终目标是改变整个计算机世界,还人们自由,给人们乐趣和方便。

Unix 是简单的,你不需要成为一个天才也能理解这种简单。

UNIX的设计者 Dennis Ritchie 说:"Unix is simple. It just takes a genius to understand its simplicity." 但是我不这么认为,因为我不是一个天才,但是我却勇敢的把 Windows 完全删除掉,遇到不明白的事情的时候努力用 UNIX 的方式去解决,而不是寻求 Windows 的帮助。现在我体会到了 UNIX 的思想和好处,我可以用比 Windows 高效几倍的效率工作。因为我相信这样的信念:"Windows 能办到的事 Linux 一定能办到,而且办的更好。"

这小节开头的话应该改成:"Unix 是简单的,你不需要成为一个天才或是计算机专家。但是在这个冲斥着 Windows 错误观念的世界,你需要信念和勇气才能理解它的简单。" 我下面就告诉你一些我理解到的东西。首先,你要知道的是微软在国际科学领域是根本没有地位的。

微软的地位

微软的名声在欧洲和美国的大学里,特别是在计算机系里之坏,大家可能有所耳闻。我认识的 MIT,Stanford 的教授,贝尔实验室的专家,甚至一个欧洲小国的高中计算机老师都绝口不提微软的名字。在他们眼里,微软只是一个没有真技术,专靠在落后国家商业宣传和垄断经营的小公司。这个"小"并不是说它人少,钱少,而是说它先进技术少。

我上次和王益合作写了一个算法演示程序,那个算法是贝尔实验室一位科学家Steven Fortune很天才的发明,为了程序能够被身边大多数人使用,我们选择了 VC+MFC 作为平台。我在分析算法时还得到 Fortune 很热情的鼓励,寄给我一份资料,还多次回信耐心的给我讲解了很多细节。但是程序完成之后,我把样品发给 Fortune,他回信说:"对不起。我机器上没有 MFC。" 话说的很客气,但是我已经感觉到了他对 Windows的不屑。然后我把 MFC 静态编译进程序再发给他,他就没有再回信了。他显然不是瞧不起我,而是确实有难处。

你能感觉到这位科学家对微软和 Windows 是什么态度了吧?不是反感,而是他心里根本没有 Windows 这个东西!微软在高科技领域没有发展,那么它怎么生存呢?到发展中国家去发展一下,他们的人民还对电脑一无所知,我说不定甚至可以打入大学的计算机系呢。我送他们软件,我捐钱盖大楼,我出钱找图灵奖获得者来演讲,让他们觉得我们都是科学家!

好了,现在全国的大学包括清华,几乎所有人机器必装盗版 Win2000,Office XP,学校的选课系统是非IE不能正确浏览,论文用 Word 编辑,演示用ppt做,email 的通知附件是 doc 文件,你不用 Word 打不开,连 863 项目都用 VC 写程序了。我很久以前就看到一份报纸说,"微软为什么不严厉打击盗版?" 这篇文章说,微软非但不打击中国的盗版行为,而且有放任之趋势。放长线吊大鱼,"以后我要你们加倍的来还我!" 确实如此,它的目的快实现了。

Windows 笼罩下的中国计算机教育

说句丢脸的话,比尔盖茨很久以前是我的偶像…… //blush

在中国,比尔盖茨被很多人奉为神圣,"少年电脑天才",甚至有的人提到他的名字就做出"抱拳对天"的姿势。很多人谈到微软的"新技术","高科技" 都是眉飞色舞。各种"VC编程圣经","深入了解 Visual C++"之类的书,在开头几页都会出现非常肉麻的字眼,"在那团团的混沌中,一个开天辟地的精灵,Windows 1.0,诞生了……"

微软的软件被这么多人盗用,那么人们是怎样使用这些盗版程序的呢?先看看电脑培训班,教的都是一些 DOS 命令,打字,Windows 基本操作,Word 文档处理,PowerPoint,高级班可能有 Excel,Access…… 参加各种微软认证考试,MCSE,MSDE 的人络绎不绝。考试辅导班都贴出了"280元,考过为止"之类的字样。考试参考资料更是昂贵,有些电脑书店整整两书架都是"Microsoft Press"的东西。我有个同学参加认证考试,每门考试都要200多元。而且你一次考不过可以再考,又要交钱。他后来还津津乐道跟我说,看我,花了XXXX(一个四位数)元考过了微软认证,得到一张比尔盖茨亲笔签名的证书和价值6000元的 Windows XP 内部发行版。

"电脑要从娃娃抓起",我们再来看看娃娃们学的是什么。大部分家长给孩子买了电脑之后,他们首先就会装一个盗版的 Windows,然后买来盗版的游戏开始玩。如果哪个孩子会用 Delphi 编程序,那可不得了。报社记者,电视台争相报导,说,某某学校的初中生某某,在别人都还在玩电脑游戏这种"初级阶段"的时候就已经用 Delphi 写程序了。镜头还瞄准了他显示器上面的像框中的比尔盖茨头像!

我刚进入大学计算机系时还不懂得什么是操作系统,因为我以前只用过"中华学习机"。看到新入学的同学们各个谈论的都是 "Windows 95","VC"…… 我简直觉得我落后了好几十年一样,整个一土人,根本跟他们答不上话。好不容易找到一个比较熟的同学问了一下:"你们天天谈论的瘟95是什么啊?"答:"win95就是一个操作系统,跟DOS是一类。""朵死是什么?" "你连DOS都不知道是什么?别在计算机系混了。" 学校上课当然不讲VC编程之类的东西,但是上 Pascal 的老师有一次就说:"嗨,我们学校真是落后。现在别人都用 C, C++,甚至 VC 了,我们还在讲 Pascal。不知道什么时候才能有VC课啊。你们出去也是要用VC的,只好自学了。" 于是,有些同学很多时候上课都捧着一本很重的"Windows 编程大全"之类的书,根本没有听课。吃饭时就念念有词的跟我说,"代码的优化是无止境的","匈牙利命名法真是伟大的发明" …… 这就是中国很多大学计算机系的情况。

感觉到无知了?这不是偶然的,而是微软长久以来埋下的伏笔。它要让无知的大家都把它奉为神圣,它要让支持UNIX,Xwindow的人一旦说 UNIX 好,Xwindow 好的时候,都被一群人围着说教:"这个 Windows 也能做到","你对 Windows 有偏见","微软才是主流啊","你敢瞧不起 win2k?",".NET 就是世界潮流","微软的毕竟是新技术","有钱就是有技术"…… 甚至在一番论战比较后败下来还是要说:"Windows 性能差点,但是易用性强","Windows 是老百姓用的,要求别那么?quot;,"微软那么有钱,以后想超过 UNIX 还不容易吗?"……

发达国家的计算机教育

我前段时间在 USENET 发文问有关 Scheme 语言的问题时,认识了一位丹麦人。他解决了我所有的问题,并且建议我阅读一些很"深奥"的有关程序语言语法,文法的书,他告诉我很多网站可以学习 LISP,Scheme,人工智能,算法。他叫我看 Jonathan Rees 的论文 "Syntactic Closures"。他还打包给我寄过来一份 MIT 的 "How to Design Programs"。他说他在自己的 PC 机上装的是 Linux,他用 Emacs 编辑,运行Scheme 程序。他对 Emacs 的了解和爱好真是使人惊讶。他大学本科毕业时做的毕业设计是一个 Scheme 解释器。这对于我来说是望尘末及了。

他是那么的不厌其烦,我的每一个问题他都详细的回答。我有时都觉得过于详细了,怎么这么耐心啊?我觉得他似乎是我的高中老师。他是什么样的人呢?我好奇的打听了他的情况。原来,他是丹麦一所普通高中的计算机老师。

他说他在高中里讲授程序设计和算法,计算机语言文法。他说用 Scheme,他的学生不用再为内存泄漏等程序语言本身的问题而烦恼,而专注于问题和算法本身。有利于培养学生解决问题的能力,特别是用计算机解决数学问题的能力。

天哪!为什么欧洲出现那么多数学家,几何学家?你看看别人重视的是什么!我们的计算机教育如果继续这样下去,只会沿着弯路越走越远!

微软和它的朋友们的如意算盘

下面来看看微软的收入是怎么来的。首先,Windows 98系列操作系统,一个就是 100多美元,每次升级又是几乎同样的价钱。Windows NT 还要贵几倍,而且有用户数目限制,5个用户的,10个用户的…… 以后如果要增加用户数目还要按比例付钱。

花了如此多钱买来的操作系统就能用了吗?它竟然连压缩程序都没有提供!你装上Windows 之后一般第一件事就是去下载一个 WinZip 吧,"只要 29 美元"。Windows会中病毒啊,马上花 70 美元买一个 Norton AntiVirus 吧。还有黑客呢?再买一个Norton Internet Security 好了,100 美元。系统需要优化,磁盘需要整理,买一个Norton System Works 是你最佳的解决方案,100美元。

可是你现在还是不能干正事啊!你想要一个 Word, PowerPoint?那就买一套 Office XP 吧,一起买便宜些,$459.90。

那些程序不会用啊!那些菜单怎么设置,到底有什么功能啊?看"帮助"也学不会。买本书看看吧,我推荐"Special Edition Using Microsoft Office XP",不贵,$27.99。这本书里面大部分是屏幕抓图,还是买一本旧的比较划算,$17.85。

你如果只是当个秘书,上面的差不多还凑合了。可是你有更高的追求,你想成为 Windows程序员。首先买一个 Visual Studio.NET 吧,要不然怎么编译程序。$494.95。

为了紧跟微软动向,世界潮流,不能不注册个 MSDN 什么的吧?这个贵一点,不过物有所值啊,$2,799。

嗯,你现在已经是上层阶级,白领人士了。你现在可以像这样"自由"的,"安全"的生活了。

为什么要反对使用 Windows

很多人都说不应该完全否定 Window,Windows 也有它的长处。不应该骂微软。

对。Windows 容易操作,适合普通用户。如果微软把它自己定位在 P&G,Philips 那样的地位,能够给我们的百姓提供周到的,完善的,价廉物美的服务。那我肯定是很喜欢它的。但是从上面的种种情况说明,微软是一个野心极大的国际垄断组织!它的产品没有一个是不出问题的:Windows 不稳定,容易中病毒,而微软不为大家免费提供杀毒软件。我就是要让你们花钱买我的朋友 Symantec 的杀毒软件,谁叫你们已经上了我的贼船?这叫什么售后服务啊!

你买来微软的程序,安装的时候一般都有一个协议,说:"由于微软的程序造成你的数据损坏或丢失,微软概不负责。" 我想很多人肯定觉得这个不合理,不想按那个 "I accept"。但是你的软件买都买来了,钱都花了,现在一按 "I decline",安装程序马上就会退出。你只好被迫点击了 "I accept"!这不是不平等条约吗?

我已经目睹了好几个朋友的文档被 Microsoft Word 损坏,有的是编辑了十多天的30多页的论文,有的是费了很大工夫做出来的个人简历,那个朋友为此失去了到自己向往的P&G 工作的机会。就在他要投简历的前一个晚上,就在那一瞬间…… 不知道他痛哭的时候有没有想起要投诉微软,可是谁叫我们用的都是盗版呢,况且你还点击了 "I accept"。

微软仗势已经占有大部分PC市场,制定不符合国际标准的"微软的标准",以不合理的方式压制其它公司的软件,这个问题已经在美国司法部闹了很久了。他甚至在 Windows系列操作系统中放置能够通过网络泄漏用户信息的代码,以至于 Windows 刚进入澳大利亚时被澳大利亚政府禁止使用。

有些人说:"微软毕竟开创了一个历史,造就了今天的 IT 行业。" 但是,如果没有微软,我们今天早就用上非常稳定,非常可靠,非常方便,非常"傻瓜"的软件了!微软是阻挡信息技术发展的罪魁祸首。

微软的程序的工作方式(注意,我只是说操作方式,病毒的事情另外算)确实适合于一般家庭,上上网,发发邮件,打打游戏都不错。可是微软却要把自己包装成什么"高科技"企业,要在世界各地设置"研究院",在大学计算机系赠送不适合用于科研的 Windows产品,甚至出钱请图灵奖得主来中国畅谈"二十一世纪的计算",还在大会上宣传自己的 .NET 技术。非要把别人认为自己是科学的,自己是领导世界高科技的。但是呢?它什么高科技也没有。欧洲,美国,哪一个关键部门在用微软的东西?NASA? DOE? CERN?你仔细想一想,微软的程序对人类到底有什么重大作用?

什么是 Windows 能干而 Linux 干不了的事情?---
"Windows 能干而 Linux 干不了的事情,那就是不需要干的事情。"

有个朋友看我半年没有用 Windows,有时就会问我:"你只用 Linux,有没有发现有些Windows 能处理的事情 Linux 干不了?"---
我回答说:"Windows 能干而 Linux 干不了的事情,那就是不需要干的事情。"

Windows 能做的有益的事情 Linux 都能做---
Windows 下的某些功能确实是我们需要的,那么 Linux 的开发者们和用户也需要这种功能,他们就会去实现这种功能,而且比 Windows 的方式好得多。由于大多数科学家,工程师用的都是 Linux 或者某种商业 UNIX, 所以几乎所有商业的科学工程程序,比如Matlab, Mathematica, AutoCAD, Candence的,Synopsys的,Avant! 的……全都是先有UNIX 的版本(包括Linux),然后再考虑移植给 Windows,甚至根本不移植给Windows,因为 Windows 的机器一般没有足够的能力运行这样的程序。你不要以为只有 Windows 才有 PSpice, UNIX 的 HSpice 要好得多,而且可以运行在大型主机上。当然它们不是免费的,但是它们值那个价钱。

但是 Windows 下有些东西在 Linux 下没有很相似的,或者你找到很多类似的,但是它们每一个比起 Windows 的那个程序都要差很多,那么原因有两种可能性:

有一个完全类似的程序,但是由于它乍一看不漂亮,被你忽略了。而其它程序虽然看起来很漂亮,但是它们是一些初学编程的人写的。现在由于 Gtk, Qt 的诞生,Linux 下开发图形界面程序极其简单,很多初中生甚至小学生都可以随手编出一些漂亮不中用的程序。如果你整天寻找这样的程序挑来挑去,永远也找不到你满意的。当然也有一流的程序用 Gtk 和 Qt,比如 GVIM 就可以用 Gtk 作为图形界面,我还知道 Synopsys 一些程序用了 Qt。

我曾经也犯过这样的错误,从外表区分一切。结果优秀的 FVWM, lftp, Mutt, wget 都被我忽略过。当我找回它们的时候,我是那么的羞愧不已,它们现在都是我的朋友我第一次看到 FVWM 觉得它只不过是一个有很厚很难看边框的东西。可是现在,我的同学看到 FVWM 都说:"哇!真漂亮。"

有另一种完全不同的方式可以达到相同的目的,甚至更好。

很多人很关心 Open Office, Star Office, AbiWord, ... 他们多么盼望有一天某一个Linux 程序能够完全兼容的打开一个复杂的 doc 文档。但是你永远也不可能有那一天。为什么呢?因为微软为了占有市场,必定不会让其它系统的程序能够完全兼容它的文档格式。它一定会不断变化 doc 文档的内部结构,隐藏一些秘密,让其它公司的程序打开 doc 文档时总是有某种问题,从而你必需购买 Microsoft Office 和 Windows。

你应该想一下,那么多的高智商的大学教授,科学家,学生,他们用的都是 Linux 或者其它类型的 UNIX,他们没有 Word 可用,怎么处理文档呢?这么多年没有一个像Open Office 的程序出现,难道大家没有办法写文档吗?

显然不是这样。你看看那些高水平的学术杂志,论文,那些大学教授的网页,那些漂亮的幻灯片,它们是什么做的?原来 UNIX 用户早就有非常方便的 troff, LaTeX, SGML等东西可以处理文档,而且它们比起 Word 都要高明的多。Word 显然被这些大拿忽略了,以至于很久以来没有人想在 Linux 下开发一个类似 Word 的程序,除非某些公司想抢微软的饭碗。

很多人留着 Windows 在硬盘上的原因无非是为了用 Word 和 PowerPoint。我见过一个教授,他的 Windows 笔记本电脑上除了 PowerPoint 什么都没有。有一天演示的时候,他指着堆乱字符说:"对不起,这是一个公式……怎么每次都是这样……" 其实有比PowerPoint 好几百倍的东西可以制造幻灯片,你可以用最简单的方法制造世界一流效果的论文和幻灯片。你待会儿可以看看我的TeX网页,你就会知道为什么我可以完全离开 Windows。

Windows 能做的那些没用的事情 Linux 永远做不好

电脑游戏
有些人说 Linux 下不能玩 Windows 下所能得到的所有游戏。的确,Linux 下虽然也有少量的游戏,比如 Quake。但是它没有 Counter Strike, 没有 Star Craft, ……

并不是说电脑游戏不该玩,但是应该适可而止。电脑是用来处理事务,帮助你学习,解决问题的工具,而不是一个玩具!整天沉迷于电脑游戏中,而不出去感觉外面的世界,你会变得越来越冷酷,越来越缺乏人情味。你与真实的世界越来越远。

你可以在 CS 里杀人,你可以在 Tomb Raider 里探险,你甚至可以在 Tony Hawk's Pro Skaters 里滑板…… 但是 It's not real!你虽然有很高的"反恐技巧",但是遇到歹徒的时候,你是那么的怯懦;你虽然控制 Laura 伸手敏捷,但是你打篮球的时候怎么总是被人断球?你虽然可以轻易的在 THPS 里作出一个 "360 kickflip to hangten grind to fakie",但是你踩在自己的滑板上的时候还不会 ollie!

说回来,如果你偶尔玩一下电脑游戏未尝不可。但是世界上有远比 Windows + PC 更好的游戏方式。Sony 的 PlayStation2, SEGA 的 DreamCast, Nintendo 的 N64,Namco的街机……每一个都比 Windows 游戏精彩,每一个都有如此高的3D性能,以至于Pentium4, Itanium + GForce4 都无法与它们比美!

Linux 的用户们都是关心解决世界的关键问题的份子,他们哪里有时间用自己的机器来玩游戏啊?他们每天用Linux高效的做完自己的工作就到阳光下享受自然去了。要玩游戏也是玩一些类似推箱子,贪吃蛇之类的智力小游戏。所以,你知道为什么 Linux 几乎没有游戏了吧?

"整理硬盘,优化系统"

这是一个非常有意思的话题,仅次于有关"病毒"的话题。相信很多 Windows 用户都有整理硬盘的经历。在很多 Windows 用户眼里,"硬盘用久了,会出现碎片,速度会减慢,需要一个程序来整理,整理硬盘的时候不要做其它工作",这好像是天经地义的事情。

我也曾经津津有味的看着 Norton Defrag 一点一点的把我的硬盘排序,调整,用图形的方式显示出来,然后报告?quot;100% 没有碎片。你的硬盘现在已经达到最佳状态。" 我现在才发觉我那时是多么的幼稚。

Linux 和 UNIX 用户似乎从来没有"整理硬盘"这种说法呢?你觉得很奇怪吗?如果你觉得很奇怪,那说明你的思想在某种程度上被微软的垃圾程序禁锢了。你需要明白,UNIX 的大型主机很多必须是一天24小时,一年365又1/4天不停运转的,要是每个星期都要整理一次硬盘,在整理的时候几乎不能干任何事情,那是绝对行不通的!

Linux 机器根本不用整理硬盘,这就是为什么没有看到过 Linux 用户整理硬盘。Linux 的文件系统是比 Windows 的 FAT, FAT32, NTFS 高明得多的文件系统,它们不但可以对文件设置权限,实施完全的保护,而且可以"越用越整齐","越用碎片越少"!你应该把文件大部分放在 Linux 的分区,而不是 Windows 分区,因为它比 Windows分区可靠得多。

还有更滑稽的事情就是有很多"Norton System Doctor","Windows 优化大师","超级兔仔注册表魔法" 之类的程序存在,而且价格昂贵。似乎一个操作系统本来应该有很多问题,需要别的厂商做程序来"优化"它,而且为了得到优化,你需要付钱!这些问题 Linux 根本就没有,所以不需要什么优化。Linux 内核本身就是高度优化的。

IDE

有些人在抱怨为什么 Linux 没有一个良好的 IDE 开发环境。Linux 现在已经有一些IDE 了,但是总是有很多问题。你是不是正在寻找,正在期望 Linux 某一天可以有一个VC那样的开发环境?你有没有发现你正在进入微软给你设下的怪圈?你为什么一定要用 IDE?你说:"IDE 开发迅速,调试方便,适合大型程序……" 那说明微软的程序在你脑子里已经比较根深蒂固,你需要好好清醒一下了,看看我来告诉你。

高明的 UNIX 程序员不用 IDE,IDE 从来就是给初级 Windows 程序员用的。

你看看大型的 UNIX 程序,包括 Linux 内核,各种网络服务程序,Xwindow 程序在内,哪一个是 IDE 搞出来的?我们实验室的 EDA 程序也没有一个是 IDE 弄的,我还知道Candence, Synopsys,Mentor 的高性能的图形界面 EDA 程序也都不是 IDE 写的。你信不信,微软的人在写 Windows 本身的时候也根本不用 IDE。微软内部程序员最喜欢的编辑器其实是 VIM,用 VIM 的微软程序员上次向乌干达的可怜儿童捐助了1000多美元,这是值得称赞的。

有一次某杂志采访一些出名的 Linux 内核程序员,包括 Linus 在内,没有一个人用IDE,有的人用 VIM,有的用 Emacs,只有 Linus 说"GNU Emacs is evil",但是其实他用的是一种跟 Emacs 有同样键绑定功能的 MicroEmacs。大家都是用编辑器编辑了程序文件,然后用 make 这样的自动工具调用 gcc 编译器完成编译工作的。甚至高级的 Windows 程序员也不用 IDE,他们可以从命令行调用 cl,nmake 来编译自己的程序。虽然这样的 Windows 程序员很少,但是他们却是最了解 Windows,最高明的Windows 程序员。

为什么 UNIX 程序员不用 IDE?明白了这个道理你就能体会到 UNIX 的设计思想了。首先,一个 IDE 集成了编辑器,编译器,汇编器,调试器,跟踪器…… 这个编辑器功能肯定比不上 VIM 或 Emacs,编译器比不上 GCC,汇编器比不上 as,调试器比不上 gdb,ddd, 跟踪器比不上 strace, ltrace, truss。你得到的是一套整合的低能的程序。如果你对调试器的功能不满意,你只好换用另外一套 IDE,但是这套 IDE 的热键,菜单,编辑器功能,按钮…… 跟原来那个有很大不同。你不得不花很多时间来熟悉新的环境,而不能保持原来的某些东西。

而在 UNIX 下就不一样了。你可以用你最喜欢的 VIM 编辑程序,你在 VIM 里可以调用GNU make,make 可以调用 gcc, ld, ... make 的出错信息可以被 VIM 捕获,VIM 能帮你在源程序里定位。你如果喜欢 icc, 你可以让 make 用 icc 而不是 gcc。你如果觉得 gdb 跟踪变量时比较麻烦,你可以用 ddd 来显示各种数据结构之间的关系。你还可以在 Emacs 里调用 gdb,那样就可以同步显示源代码了。而且 VIM 和 Emacs 还可以编辑很多其它东西,比如信件,LaTeX 文档,HTML,配置文件…… 你不用另外找一个什么编辑器来干这些杂活了。很多程序比如 Mutt, tin 都可以在内部使用 VIM,这样就更方便了。实际上 make 在其它方面还能帮你很多忙,我的每一个比较大型的 LaTeX文档都是用 make 维护的。

Linux 能干的高精尖的事情 Windows 都干不了

当然有很多事情是Linux/UNIX的专利了。因为 Windows 只能装在 PC 机上,好像以前也有 Alpha 可以使用 Windows NT,但是就是没见到有人用。PC 机的能力是很低的,像我们编程序处理 NP-Hard 问题的人,用 Windows 的机器显然速度不够,而且有时一个问题算上几天甚至几个星期,Windows 机器是以"死机"著称的,我们怎么能放心?所以几乎所有科学计算程序,EDA 程序,高性能图像处理程序都不是 Windows 的。他们有时也会移植一些给 Windows,但是常常降低那些程序的能力。你比较过 Windows 版本的 Mathematica 和 Linux 的有什么区别吗?

IBM 制造的最大的并行计算机有 8000 多个处理器,Windows 不可能有能力管理这么多处理器,它用的是什么操作系统?答案是 Linux。

《泰坦尼克号》电影里的三维动画,那么细腻逼真,Windows机器能做出来吗?不行。那也是 Linux 机器做的。

民航总局用来训练地情人员的虚拟现实训练设备,Windows 当然无能为力。那都是商业的 IRIX 机器。

UNIX 是最早支持 TCP/IP 网络协议的系统。它上面有很多可以互相协作的网络服务程序,它们经过多年的使用和修订,已经达到比较完善的程度。而就在1997年,微软的比尔盖茨还在扬言:"Internet 是没有前途的。" 微软的这个"远见卓识"大家应该都已见识,它后来加上的网络服务程序IIS漏洞之多,让公安部都频频发出警报,大家也是见识了的。

其实你知道了,Windows 没有一样有用的事情能比 UNIX 干的更好。

Linux 干不了的有用的事情 Windows 照样干不了
当然 Linux 不是万能的。它也有不能干的事情,电脑也有干不了的事情。但是 Linux干不了的事情,Windows 肯定也干不了。这些事情就是我们需要探索,需要努力的事情了。在你探索的过程中,Linux 必定是你的好伙伴。

不要把Linux和Xwindow掩盖起来!不要把我们的用户当成傻瓜。

什么?你早就知道 Windows 是垃圾?噢!你怎么不早说呢!害我废话这么多。嘿嘿。

"好了。你知道 Windows 是垃圾,你现在用什么?quot;

"Linux + Xwindow"

"那我问你,Xwindow 是什么样的?"

"不就是跟 Windows 差不多吗?只不过 'Start' 按钮比较方,而且上面不是一个Windows 标志,而是一个脚丫子。点击一下居然还有很漂亮的中文菜单。我喜欢!"

"你知道什么是'根窗口'吗?"

"不知道。从来没听说过呢?"

"根窗口就是遮盖整个屏幕的那个最大的窗口。"

"哪儿有什么窗口啊!我没有看到呢?"

你发现了问题吗?这些 Linux 用户说是在用 Linux 和 Xwindow,但是他们对 Linux和 Xwindow 几乎完全不了解。很多人用了那么久 Xwindow 都不知道根窗口是什么东西,不知道其实按钮也是窗口,不知道窗口管理器和其它程序有什么关系,大家都以为窗口上面的按钮是程序自己放上去的,不知道窗口?quot;class name","resource name"是什么东西。他们也不知道 .Xdefaults 是用来干什么的。特别是他们很多人都不知道 Xwindow 的字体是如何命名的,什么是 fontset,有了一个新的字体也不知道怎么安装。

他们被遮在 Linux 之上的一层一层的包装迷惑了,他们等待有图形界面的工具来帮助完成一切事情,他们认为 Linux 跟 Windows 一样,只是麻烦一点。他们知道 Linux内核很好,但是他们感觉不到 Linux 和 Xwindow 在操作层面的天生的先进性,随后不久就把 Linux 完全删除掉了。你发现没有,要用户理解 UNIX 和 Xwindow 的操作层面的先进性,才是留住用户的最好办法。如果用户体会不到操作时的方便和高效,内核再好他们也不会理会。

但是用摹仿 Windows 的作法来吸引用户,永远会失败的。因为 Linux 如果摹仿Windows那一套低效率的方式,那么 Linux 的这套"低效率方式"永远比不上Windows 的那一套"低效率方式"。那么用户就会说:"这个 Linux,没有一样比的上 Windows。"

Linux 天生就是继承了 UNIX 的高效的工作方式,为什么我们要把它掩盖起来?我们为什么只告诉用户 KDE 的菜单怎么用?我们为什么不能像早期的 Xwindow 书籍那样第一节就告诉用户什么是 X server, 什么是 X client,什么是 Window Manager, 什么是根窗口。第二章就告诉用户窗口有哪些属性,什么是 classname, resource name, hint,怎样使用 .Xdefaults, xrdb ……

在这里我又不得不说一下那些 Linux 的发行公司和写书的人,他们把 Linux 和Xwindow 包装起来,却没有从基本上告诉用户 Xwindow 的工作原理。很多书籍讲授的层次就是在Gnome, KDE 的菜单操作的层次,靠大量抓图来占篇幅,"繁荣"Linux 书籍市场。

现在很多人已经把能够利用别人的库写出一个好看的程序作为自己编程水平的象征。在这?quot;图形化","可视化" 的年代,你如果还在用 troff, LaTeX 写文档,你还在用VIM 自己编辑 HTML,用 Mutt 处理邮件,你还在用文本模式的 gdb 调试程序,你还在用Xlib 写程序, 你还在用 tin 上 USENET,你还在自己写 Makefile,写机器代码,你还在玩 Clossal Cave 这样的字符模式冒险游戏,那你就是老古董。

其实这种思想是错误的。虽然你是一个坚决的 Linux 支持者,但是你的思想是 Windows的思想。你认为图形界面,菜单,按钮就可以解决一切问题,就可以给你高效方便。你还是没能摆脱微软给你的潜移默化的东西。你其实离不开 Windows 那样的环境,你迟早会删掉自己的 Linux。

GUI vs. CLI
做一个坚定不移的"两面派"

大家看到这个标题是不是热血沸腾?两派大虾都可以围攻我了:

GUI派用户:"哇!我一看你这小子就是 CLI 的。要不然自己写什么 Makefile?用什么Mutt?"

CLI派用户:"切~ 你还用 X!高手都不用 X。你是 GUI 那边的。"

可怜的我:"555~~ 你们都不要我~~ GUI 和 CLI 就那么水火不容吗?"

计算机界这样的门派之分还很多。很有特点的就是 CLI 和 GUI 了。CLI (Command LIne)的狂热份子声称永远不用 X。我上次在实验室看到一个同学用一个 SecureCRT 登录到Sun 机器,然后用一个 vanilla vi 编辑程序,我建议他启动一个 GVIM 过来显示在Exceed 上可以有语法加亮。但是他坚决反对,说:"高手不用X。你想想,要是我在一个很慢的网络连接怎么用 X?而且好多服务器没有装 X 程序。"

但是我们实验室的网速可够快,Windows 机器都有 Exceed 啊,而且 Sun 机器有全套X 客户程序包括 GVIM。他说他是 CLI 的坚决拥护者,但是他却在用 Windows,他后来打开了好几个 SecureCRT,每次从文本框输入地址,用户名和密码,从下拉菜单选择"SSH2",然后点击"Connnect"。他还不断的夸SecureCRT是"网络管理员投票选出的最受欢迎的登录方式"。老天,SecureCRT 本身就是个 GUI 啊,他其实没有明白Xwindow 的好处。

你说我是 GUI 的?我虽然很少在 console 下工作。但是我对 bash, VIM 很熟悉,我可以让 bash 按照我的键绑定方式来工作。我可以在 rxvt 里使用 Mutt 来收发 email。我的每个桌面上都常常堆放着一打不同大小的 rxvt。我用 VIM 编辑 LaTeX。我自己写Makefile 来维护 LaTeX 文档。我有时用 mpg321 来放 mp3。我上BBS用的我自己写的expect 脚本。 好了,CLI 派的朋友可以收我做盟友了

你说我是 CLI 的老古董?我的 FVWM 被我配置为可以"手写操作",我只要画一个"r"就可以启动 rxvt,我只要画一个 "U" 就可以启动 GVIM,…… 我用 GVIM 语法加亮模式编辑程序,我用 Mozilla 浏览网页,…… GUI 派的现在好像认我做朋友了

好了。CLI 派的朋友,虽然我很喜欢命令行,但是我有时在屏幕上左右画一下就可以执行:

Module FvwmConsole -terminal rxvt -geometry 45x5-0+0 -bg gold -fg midnightblue -fn "-adobe-courier-medium-r-*-*-14-*-*-*-*-*-*-*"
你是不是现在又想把我逐出师门?

GUI 派的朋友,虽然我很喜欢窗口。但是我可以在 FvwmConsole 里输入:

All (rxvt) MoveToDesk
把我所有的 rxvt 移动到我现在工作的桌面。"这家伙,怎么这么快就叛变了!"

其实何必分什么 GUI 和 CLI,UNIX 和 Xwindow 都是工业标准,它们从设计那天开始就有非常灵活的用法,各个程序,不管是 GUI 还是命令行的都可以互相协作。UNIX 和X 是一家,何必搞的那么偏激,非此即彼?你从我上面的行为可以看出 GUI 和 CLI的模糊界线吗?我就是坚定不移的"两面派"。

UNIX 是简单的--
"我相信简单就是最好,如果太复杂,我是不能理解的。" -Seymour Cray

很多第一次用 Linux 的人会惊奇的发现,Linux 的程序居然不?quot;安装"就可以运行,程序拷贝到随便那个目录都可以用,而不是一定要占用你第一个分区的空间。程序的设置只是一些简简单单的文本文件。你根本不需要什么"注册表修改器" 就可以改变系统的设置。这就叫做简单,但是简单就是美。虽然这只是 UNIX 简单性的一个肤浅的认识,你已经体会到了某些东西。

但是简单并不意味着功能弱,并不意味着落后。相反,简单意味着强大,意味着生命力。

我不会再继续阐述我理解到的"UNIX 的简单",因为这个需要自己去体会。

UNIX 是永恒的
有人说:"Plan9 会取代 UNIX,Mach 会取代 Linux 内核。"

但是你如果是一个深入体会了 UNIX 的人,你就会知道:UNIX 的思想是永恒的,不管时过境迁,Plan9 是否代替 UNIX,UNIX 的灵魂都会在 Plan9 身上现形!

我为同一个设备写过 Linux 内核和 Windows VxD 驱动程序。写 Linux 驱动程序时,我对 UNIX 设计的完美的一致性,远见性所折服。UNIX 用同样界面的 read(), write()系统调用就可以对不同的对象:普通文件,设备文件,管道,管道文件,socket,……进行统一的读写操作。我跟本不需要写一个测试用的应用程序就可以对我的设备驱动进行测试,因为 cat, cp, dd, 它们也使用了同样的 read(), write(),设备和普通文件在应用程序眼里没有区别。在那个还没有 Smalltalk, 没有 C++ 的年代,UNIX 的设计者已经使用了所谓的 "面向对象方法"。对,C 语言也可以实现面向对象。

UNIX 的系统调用几十年都没有很大变化,这非但不是顽固,不进步的象征,反而是UNIX 的远见卓识的体现!这就跟 TeX 程序几十年都不变的情况差不多。这些才是真正的永恒的 master piece! 你应该改变所有软件都必需从 0.1, 1.0, 1.1, 1.2, 2.0,..., 3.0, 3.1, 95, 98, 2000, XP, ... 不断升级的想法。

Windows 就不同了,它在最开头只是一个 DOS 之上的图形包装而已。后来为了兼容以前的糟糕设计,不得不加上很多累赘。我写 VxD 驱动程序的时候就深有体会,Windows 95 程序对设备的操作只有用 DeviceIoControl,我不得不写了两个应用程序来对设备驱动进行测试。Windows 内核的不一致性和隐密性使我非常恼火。不过 Windows WDM驱动程序现在也有了 ReadFile, WriteFile,…… 那说明什么?那说明 Windows 在向UNIX 学习,或者有可能是某个 UNIX 设计人员在微软打了几天临工,顺手加了几个UNIX 的东西进去。这样做是没有用的,Windows 从一开始就是非常糟糕的设计,它的历史的包袱太沉重了,缝缝补补有什么用?它只能永远的被 UNIX 甩在身后!

UNIX 是强大的
让聪明人干任何他们想干的事情。

UNIX 的一个特点就是非常高的灵活性,Xwindow 也具有这种灵活性。这种灵活性体现在哪里呢?

UNIX 的程序一般都有很多参数,不管你现在用的着用不着,总有人需要某些参数。它们的行为很多都可以用配置文件来改变。比如 GNU bash, 通常缺省的命令行输入方式是 Emacs 方式,但是只要我编辑一个 .inputrc 文件,就可以把它变成 vi 的输入方式,而且我还可以自己绑定键序列到某些操作。我可以用 shopt 来设置它的很多特点,比如是否进行通配符扩展,是否可以把一个变量当作一个目录来cd,是否可以自动纠正某些明显的目录名打字错误 ……

UNIX 程序设计的思想是提供给用户"机制",而不限制用户制定"政策"。这是一个重要的尊重用户的作法。

我们再来看看 Xwindow。Xwindow 是一个出色的设计,它把显示服务器和客户程序分开。一个显示上既可以显示本机上的程序,也可以显示别的机器上的 X 程序,而它们都遵守你的窗口管理器的统一指挥,它们之间可以方便的传送剪贴版数据,各种事件 …… 比如有时我的 XFree86 上会出现四个不同机器上的 XTerm,两个不同机器上的 GVIM,…… 它们统一受本机上的 FVWM 指挥。

Xwindow 程序都具有很多很多命令行参数和 resource 参数。你可以随意的在命令行或者 .Xdefaults 文件设置所有的颜色,字体,尺寸…… 而且如果你用 xrdb 把 .Xdefaults 导入到根窗口,那么其它机器上没有经过配置的同样的程序,显示到你的机器上的时候也会遵守同样的外观规定。

Xwindow 的窗口具有 Property, 也就是一些可以自己定义的共享数据(原子)。正是因为这些 Property 的存在,使得 Xwindow 具有无比强大的生命力。X 的窗口管理器和其它客户程序之间并没有统一的协议,但是后来出现了 ICCCM(客户程序间通信规范),这个规范就是通过 property 定义的。现在又有人定义了一套"扩展的窗口协议(EWM Hints)",使得Xwindow 可以具有某些 Windows 的特征,比如一个工具条程序可以告诉窗口管理器:"这个屏幕下面被我占据了24个像素的空间,你最大化程序的时候不要越过这个界线。"

一个强大的窗口管理程序比如 FVWM,它收到这样的提示时,可以答应工具条程序的这个要求,也可以不答应。一切选择的权力在于谁?当然是用户了!

你想想,是不是有些 Windows 程序常常弹出一个窗口要你选择 "Yes or No"?你不点击它它就不下去。你觉不觉得你的程序在侵犯你的尊严?你是一个人,一个智慧的生物,怎能受到一个程序如此的待遇?

还有就是很多 Windows 程序把人当成傻瓜,而它是"智能程序"。比如,有一个程序就是喜欢把你的每句话第一个字母都变成大写,我不说它是谁了,你遇到的时候就知道了。

如果连"一句话开头一个字母要大写"这么明显的问题都需要程序帮你纠正的话,人脑还用来干什么?况且如果你故意想要不大写的话,那就更麻烦了,我楞是没有从它那一大堆菜单里找到怎么关闭这个愚蠢的选项。

只有符号才能完全操纵计算机。

我们来说说很多初学 Linux 的用户。虽然他们在用 Linux,但是他们打心眼儿里是觉得Windows 的工作方式好,他们希望 Linux 有一天能"像Windows那样"。你说:"我的鼠标一点,我菜单一拉,…… 就可以完成我的操作。" 但是我要告诉你:"Linux 从来没有摹仿 Windows,将来也不会。Linux 从诞生之日起,它的工作方式就比 Windows 的先进。

Linux 属于能勇敢面对符号的人。只有符号才能完全操纵计算机。"

看看优秀的 UNIX 程序,XFree86, FVWM, VIM, Emacs, proftpd, Mutt, wget, tin, ... 没有一个不是用配置文件来设置选项的。为什么这些程序没有方便的菜单可以用来配置?难道它们的设计者就那么低能,连个图形配置界面也写不出来?

当然不是。因为图形界面配置方式的能力是极其有限的,而配置文件和程序语言的表达能力却是无限的。用图形界面配置这些程序的话,如果你想达到配置文件的效果,你需要成百上千的菜单,checkbox, radio button, ... 到时候你根本没办法找到你需要修改的地方了!而各个程序的配置文件的语法都有很多相似之处,一般就是一些命令,设置一些变量,参数,…… 一旦用会了一个,其它的也就容易理解了。如果你用惯了 awk, sed, Perl,你会觉得那才是真正的自动化啊。

鼠标虽然是很好的工具,但是它的表达能力是有限的。你不可能光用鼠标就让电脑完全明白你的意思,它毕竟只有3个按钮。看看我的MetaPost页你就能体会到鼠标的这一弱点。所以我们虽然很喜欢鼠标,但是却不能完全依赖它。

各个小程序的完美配合

这就是UNIX最重要的特点了,它就是UNIX设计的思想。让每个程序只具有一项专门的能力,然后让它们合作。Xwindow也继承了这种好传统。这恐怕就是Windows和其它操作系统望尘末及的地方了。UNIX 程序设计之统一,配合之完美,真使我难以置信!shell, grep, find, awk, sed, make, Perl, Emacs, vi, tin, Mutt, ... 它们是那么的具有一致性!你一旦学会了 sed 的正则表达式,其它程序基本上都能用了。你一旦学会了vi 和 VIM, 你会发现它的操作是那么的有规律性,似乎vi的设计者在几十年前就已经设计好了 VIM 在今天的完美而统一的操作方式!而且vi的操作还体现在 Mutt, tin 等很多程序中。你甚至可以把 bash 设置为 vi 的输入方式来输入命令行,我就是这么做的。一个程序可以调用另外一个程序来得到数据,可以把数据交给它处理后返回来,可以在自己的窗口里"嵌入"另外一个程序。

在 Windows 和其它非 UNIX 操作系统中,这种合作是非常困难的。我曾经在Windows下使用 Perl来进行一些自动工作。但是 Windows 的文件操作,管道是如此的不稳定,程序之间基本不能合作。你别想在 Visual Studio 窗口里面嵌入 UltraEdit 编辑器,你别想用一个 expect 脚本来控制 telnet 到水木清华BBS。

Windows 的程序都是大而全,大而杂,所有的电子邮件程序都需要自己提供编辑器,自己发送和收取邮件,自己显示邮件的附件。每一个BBS程序都提供自己的Virtual Terminal, 自己的通讯代码。每一个 IDE 都自己提供编辑器,编译器,汇编器,调试器。人们为了使用一种新的程序,需要适应所有这些它提供的界面,而不能使用自己喜欢的编辑器的键绑定,菜单组织…… 不能 DIY!

你要知道,最高级的电脑是定做的,自己想要什么什么CPU,什么主板,多少内存,什么硬盘,键盘,鼠标,显示器都是自己选择的。最高级的滑板,自己想要什么牌子的版面,什么牌子的沙,什么桥,什么轮子,什么轴承,也都是自己选的。最高级的古球拍,木板,胶皮,海绵,胶水都是可以自己选择…… 而用 Windows 程序,你得到的是大杂烩,就像你去买"品牌机",只有那么几种配置,而且附带很多你不需要的软件和服务;就像你去买组装好的滑板,你想要大一点的轮子和窄一点的板子,但是你没有这种选择余地!Windows 程序就相当于最廉价,最次的滑板。但是它却会花你更多的钱,因为一旦一个部件坏了,或者你不喜欢了,你不能另外找一个好的换掉它,你必需重新买全套配件!

而 UNIX 和 Xwindow 就是高档的"组装货"。比如我用 Mutt 的时候,我可以用 VIM也可以用 pico 来编辑邮件,我可以用 ImageMagick 也可以用 xv 来显示附件里的图片,我可以用 lynx 把 HTML 附件转成文本嵌入窗口中,我也可以把 HTML 附件交给Mozilla 图形显示。我可以让 GnuPG 帮我把邮件进行数字签名和加密,我也可以用其它 PGP 程序。

我想让 Postfix 而不是 sendmail 帮我发出邮件,我想让 fetchmail 帮我收邮件,转发给 postfix,然后被我自己写的Perl过滤器处理…… 这一切我都可以办到!我可以选择我最喜欢的专门的程序来完成专门的工作,然后把它们结合在一起,我也可以分别得到它们的好处。

学 UNIX 绝对不是浪费时间
有人告诉我:"你看我用 Windows 什么都不用学。而用 Linux,光是安装就花了我一个星期!"

首先,我要告诉你的是,你装 Linux 花了一个星期,不是因为 Linux 不好装,而是因为你已经习惯了 Windows,对 Linux 最初难以理解而已。你想一想你最初安装Windows的时候呢?你花了多少时间搞明白什么是硬盘分区?什么是盘符?什么是目录?你认为Windows 就是那么容易可以学会的吗?虽然你觉得没花时间学,但是你以前在用别人的机器的时候已经耳濡目染,自然就了解了。而且由于你想要 Linux 和 Windows 并存于硬盘上,又增加了安装难度。而且你肯定没有得到有经验的 Linux 用户的帮助,否则他们会在20分种之内帮你搞定。一个星期也太夸张了.

如果一开始用的就是Linux就没有这个问题。你想想如果你没有用过 windows,你肯定会很习惯 /etc, /usr, /usr/local ,... 而不是 C:, D:, E:, ... 是不是?如果你只用过Linux,你第一次用 windows 时恐怕也会问:"/bin 目录哪里去了啊?"

最重要的是,你用惯了的UNIX工具,它们可以伴随你一生,而不会那么容易变化或消失。你可以永远不用再换另外的工具了。除非那个工具比你这个好的太多,而且可以完全模拟你现在的工具。

我们实验室一个60多岁的老师,用vi, cc, make, ...都几十年了,他以前的经验绝对没有白费,而且教会了我们一批又一批的学生。vi 伴随着 UNIX 的最初发行而诞生,直到今天还是世界上头两号编辑器之一!有些人的 FVWM 配置文件已经用了 10 多年,现在完全不经修改还可以用。

看看 Windows 的工具,你从 Borland C++ 换到 VC, 就必需适应新的环境:菜单不同了,颜色不同了,按钮不同了,帮助信息不同了,热键不同了,编译器参数,调试器功能也不同了,…… 那个时候恐怕花要花你很多时间去适应。当你刚刚适应了 VC, 你又要换成VJ, PowerBuilder, C++Builder, ...

很多windows程序员都是这样,开头在dos下用Turbo C, 然后是 Borland C, VC, C++ Builder, ......不断追赶微软的潮流。而且微软的SDK, MFC, .NET …… 什么都在不断变化,不断出问题,又不断的在修改…… Windows 程序员不得不买又厚又重的 Microsoft Press 的书籍,看了才一个月,又过时了。今天你才学会了写 VxD,明天你就必须用WDM 了。你不得不注册 MSDN 才能赶上 Microsoft 的步伐。很多人说:"计算机是贵族的专业。" 这就是微软一手造成的。

这些东西才是没完没了的浪费大家的时间和金钱的。这是是浪费生命!我们为什么不使用从诞生就那么一致和完美的 UNIX?你需要理解先进工具的设计理念。UNIX 的工具就像我们用的汽车,它的离合器,油门,刹车,方向盘,后视镜,永远都在同样的位置。用惯了的话,你对你的汽车的每一个部件都会了如指掌,甚至你自己都可以修车了。这难道不好吗?

有人说:"你说我们需要了解 UNIX,难道你要开车还必须了解汽车的结构吗?" 你去问问开车的司机,哪一个不了解汽车的结构的,那他的驾照就是混来的。你难道想要傻瓜型的"微软牌汽车"吗?我们来看看:

你买的微软牌汽车最开头只有一个座位,每加一个座位你得向汽车公司付钱。车上的防撞气囊不时会冒出来,说是为了你的安全。每开100英里要大修一次,每过一年要换一次引擎。附带的,你还必须换用由微软汽车公司指定的石油公司提供的新型号的机油。你的车出了问题,但是法律规定,你不准私自拆开你的汽车来修理,你必需到微软汽车公司指定的维修点去,需要付相当多的钱才能修好一个小毛病。

最可气的是,你每换一个型号的微软牌汽车,它的刹车和离合器都在不同的位置,你需要重新去考驾驶执照。如果这辆汽车在途中刹车失灵,你受了重伤,你也不能状告微软汽车公司,因为你买来汽车之后必须签一个合同,说"由于微软牌汽车对你和家人造成的一切死伤,微软概不负责。"

怎样完全用 GNU/Linux 工作

说了这么多 Windows 的不好。我还没有告诉你我怎么用 Linux 处理有些必要的事情。半年以前我由于中文老是配置不好,一直是双系统,不时需要重起到 Win2k 来处理汉字。后来我找到了 miniChinput, XSIM 和 SCIM 输入法。这下可以处理汉字了。而且 VIM 和Emacs 对汉字支持越来越好。我的大部分文本是用 VIM 编辑的,包括程序,信件,网页,LaTeX 论文,MetaPost 绘图语言。

我不用 Word 这样的程序写论文,而是用 LaTeX,因为这是世界上效果最好,最方便的论文工具,是大多数学术杂志要求的格式。幻灯都是用 ConTeXt 做的,用起来很简单,而且效果非常漂亮。你可以看看我的TeX介绍。

至于绘图,你可以用很多可视化的工具,比如 xfig,dia。但是对于我来说,任何可视化的工具都不能完成某些任务,我需要一种可以精确描述图形的语言。我找到了MetaPost。它简单又好用,而且效果是世界一流的。我的插图,如果不是图像,都是MetaPost 画出来的。

我曾经抱怨 mozilla-mail 经常突然消失,损坏我好几封快要完成的信件。后来我发现mozilla 的邮件处理程序确实是不稳定的,功能又弱,有经验的 UNIX 用户都不用这样的程序。Mutt 是一个非常稳定可靠的 UNIX 邮件处理程序,而且功能非常强大。我曾经为 Gnome 和 KDE 的不稳定而烦恼。现在我找到了非常强大的 FVWM。KDE,Gnome也能和 FVWM 一起工作。虽然 Gnome 和 KDE 总体不稳定,但是某些部件程序还不错,很多 gtk, Qt 的程序也很不错,它们很多都是可以独立于这些桌面环境运行的。

Linux 有很多强大方便的工作方式是 Windows 没有的,或者有类似的东西,但是很差劲或者用起来不方便。比如 ssh 服务,rsync,cvs,expect ……

结论

我写这么多的目的是什么?我希望喜欢 Linux 的朋友,完全清除微软和 Windows 灌输在你脑子里的谬论,别再相信它们所谓的"新技术",别再追赶 Windows,因为追赶Windows = 倒退。马克思有一个思想很重要,"新生事物并不一定是在最近出现的。"

UNIX,Xwindow, TeX 虽然都比 Windows 先出现,但是它们才是先进生产力的代表。我们要清楚的认识到什么才是真正的现代化,什么才是真正的自动化。

消除学计算机很难的幻觉,勇敢的拿起像 bash, FVWM, TeX, VIM, Emacs, Mutt ……这样强大的程序,勇敢的面对符号。不要再埋怨"Linux 为什么不能像 Windows 那样",不要再浪费时间试用这样那样的程序,不要再忙着升级。你需要理解 UNIX 的工作方式,因为那是大多数科学家的工作方式。Linux 可以成为你的好朋友,你需要认识它,了解它,信任它,才能完全的靠它来高效的工作。当然,在游戏机,手机,掌上电脑里,或者在用电脑来娱乐的时候,用一些"傻瓜软件"还是不错的.

我希望小学,中学的计算机老师能够提高自己的素质,在孩子们的启蒙教育中充分利用Linux 神秘的特点,引起孩子们对数学,对符号的好奇心。诱导他们用计算机来解决世界上的有趣问题,而不要把教学的范围局限于计算机的操作和它自身的问题。

附录: 我用来处理日常事务的 Linux 程序
好了好了。我知道你发现自己应该转向 Linux,你很后悔当初为什么中了微软的邪。但是不要着急。因为这些东西本来只是工具,它们是用来完成你的主要任务的辅助而已。你以前选错了工具,这不要紧。你还是拥有你自己原来的专业技能,那才是最重要的。工具的东西只有慢慢适应转换,不能一蹴而就,否则你会感到非常没意思,甚至放弃。

如果你只想做一个像我这样的普通用户,主要目的是用 Linux 来完成自己的任务,那就可以不用系统管理员或者网络管理员的标准来要求自己,因为当一个系统和网络管理员确实很辛苦。这里我对实验室的网管同学鞠一躬,谢谢你的指点和帮助. 不用把你的机器当成网络服务器,不用开放没有必要的服务,设置好 ssh, ftp 已经足够了。这样会省去了解很多没必要了解的东西的时间。不用过度考虑"安全",因为 Linux 缺省已经很安全了。不过你有兴趣了解更多那也无妨。

下面给出一些推荐使用的可以处理一般事情的程序。至于你的专业上要用到的科学和工程软件比如 Matlab, Mathematica, Maple, HSpice, Design Compiler, …… 还有其它物理上的,化学上的,生物上的 …… 都必然有 Linux 和 UNIX 的版本。当然他们很多不是免费的,不要总是觉得什么都应该免费,自由不等于免费。它们是经过很多人辛勤劳动的产物,是可靠的程序,它们物有所值。

下面列出我常用的一些 Linux 程序。一个列表里可能有很多,那是为了方便你来选择,我列出了比较信得过的。但其实很多只有第一个是我真正在用的,我不喜欢试用程序。我不是一个合格的网络管理员,我的服务器都只设置了我自己需要的功能,那样可以省去我很多麻烦。

Shell: bash。它结合了 csh 和 ksh 的优点,并且有 readline 功能,你可以随意绑定自己的键盘。
编辑器: VIM, Emacs。
程序开发: GCC, make, ld, Scheme48, j2sdk, Perl, Python, Tcl/Tk ...
论文,幻灯工具:LaTeX, ConTeXt
绘图工具:MetaPost。这个语言太强了,以至于我只用它了。你不熟悉的话可以用xfig, dia 来画一些流程图之类的图片。
图像处理:ImageMagick。其中的 import 程序可以屏幕抓图,convert 程序可以转换图像格式,display 可以显示图片和简单编辑(缩放,换质量,转格式,简单绘图,简单虑镜)。通常我就这么点需要。如果你要更强大的图像工具可以用 Gimp, 它几乎和Photoshop差不多。
自动管理工具:make。我可以用make来自动编译程序,自动编译文档,自动更新插图…… 全自动,而且不会重复劳动。
数值计算程序:SciLab。这个程序基本上可以代替 Matlab。
代数计算程序:MAXIMA。这个程序基于世界上最老的计算机代数系统之一: 由美国能源部(DOE)发行的 MIT Macsyma 系统。它是用 Common Lisp 实现的。很多现在的符号计算程序比如 Maple 都从 MAXIMA 身上学到很多东西。它现在经过 DOE 批准以GPL发行,永远是一个自由软件。
加密程序:GnuPG。我的 PGP 密钥就是它搞出来的。
打包,压缩程序。什么都有: tar, gzip, bzip2, zip, rar, ...
虚拟光驱程序。Linux 不需要虚拟光驱程序,直接 mount 就行了。
ftp 服务器:proftpd, vsftpd。proftpd 功能很强,但是我只用了最简单的一种设置。
WWW 服务器:apache。(我一般没有开)
ftp 客户程序:lftp,ncftp。它们都是文本方式操作的,但是比起图形界面的方便的多。比如 lftp 几乎具有 bash 的所有方便功能,Tab 补全,bookmark, queue, 后台下载,镜像…… Linux 也有图形界面的 ftp 客户程序,但是大多不稳定,有很多问题。这就是很多人抱怨 Linux 不如 Windows 的一个小原因。还有很多人用 Wine 模拟 Windows 的leapftp,其实 lftp 比 leapftp 好很多,你需要的只是适应一下。
自动下载工具:wget。它非常稳定,有一次我下载一个程序,用 IE 和 Mozilla 下载回来的文件都是坏的,最后还是 wget 可靠的传输了数据。用它甚至可以镜像整个网站,比起WebZip 这样的 Windows 程序强多了,而且不会因为你不付钱就在下载回来的网页里强制插入广告。
虚拟终端:rxvt, xterm, gnome-terminal, mlterm, ...
X server: XFree86
窗口管理器:FVWM。编译加入了 libstroke。
中文输入:XSIM。被我修改过以适应 FVWM 的需要。另外推荐你还可以用 SCIM。
email 处理:Mutt + Postfix + fetchmail
看 PDF, PS, DJVU 文件:Acrobat Reader, xpdf, GhostScript, gv, djvu工具包和netscape 插件。
看CAJ文档。我从来不看CAJ之类的文档,如果找不到PDF或PS,直接去图书馆借最好。
看网页:Mozilla, Phoenix, lynx。Mozilla-Xft 的显示效果比IE 好很多。
英汉字典:IBM智能词典,星际译王。
编辑网页:我用VIM 直接写 HTML。你如果想要图形方式的可以用其它的比如screem, BlueFish。
登录其它 UNIX, Linux 机器:openSSH, telnet。 我喜欢用 openSSH 把其它机器的X 程序通过 ssh 加密的隧道传到我机器上显示。
登录 Windows2000 server 的 display service: rdesktop,...我有一天试了一下,不错。后来就没有用过了。
同步程序:rsync。我用 rsync 通过 ssh 来跟某些机器同步数据,或者做自己机器上不同目录间的同步。
上BBS:rxvt(或任何一种终端) + telnet + chatbot(helloooo 机器人的程序)
QQ, ICQ: 我没有 QQ 或 ICQ。不过你可以用 Gaim, 它同时支持 QQ, ICQ 和很多其它的即时通信方式。ICQ 用户也可以用 Licq。
放录像:MPlayer, RealPlayer。MPlayer 太好了,直接就可以放 VCD, DVD, divx, wma, wmv ... 用 Windows 的同学都很羡慕我,说 Windows 要放这个需要大堆插件。rm 最好还是用 realplayer 放,它也是免费的。
放音乐: xmms(mp3,ogg都可以), mpg321(放mp3), ogg123(放ogg)。mpg321 不如xmms管理音乐文件那么方便,但是有时我还是用 mpg321 放 mp3 作为背景音乐,因为懒得开一个xmms窗口:-)
游戏:我觉得 KDE 的那个 ksokoban(推箱子),很好玩 :-)
看 Word 文档。请 Word 用户把文档全部转为 PDF 或 PS 再给我,文档里没有特殊的格式干脆就用文本吧,何必那么麻烦。以前很奇怪的是,通知里本来没有什么特殊的格式居然还要发doc附件的email。现在好了,我们系发通知都用文本,PDF,甚至图片了。
其它程序:还有很多我需要用而你不一定用得着的。比如,Doctor Scheme,
Scheme48, Scsh, kawa...这些程序只有 Doctor Scheme 有Windows版本。还有很多幕后工作但是你一般不察觉的:xinetd, telnetd, sshd, crond, atd, lpd, ... 他们都比 Windows 的对应者强的多,或者根本没有对应者。


附:

写给支持和反对《完全用Linux工作》的人们
作者:王垠

在一阵阵唾骂和欢呼声中,《完全用linux工作》被转载到了天涯海角。很多人支持我,也有很多人唾骂我。我不知道它是怎样流传到那么多地方,其实我不知道它都被转到哪里去了…… 我知道现在这篇文章又会罗里罗索写很长(因为我计划写这样一个东西已经很久了,坐在Emacs前面总是有一种巫师在炼丹的感觉……),所以先提出中心思想吧。中心思想就是:

我只是一个傻瓜。看《完全用Linux 工作》的时候请用你们自己的判断力。

几乎所有人都承认,那篇文章很偏激。当时的情况是这样,我用 Linux 的时候被一个同学鄙视了,说:"你怎么用像 DOS 一样落后的东西,真土!看我漂亮的 Win2000..." 这跟当面嘲笑别人老婆或者妈妈有什么区别?我义愤填膺啊,就几乎跟他吵起来。然后就写出了这篇文章放在主页上,叫了几个人来看。接着我珍爱的 TeX 又受到众人鄙视,于是我又写了一篇文章打击 Word,然后把 TeX 捧上了天。道理很简单,鄙视我喜欢的东西的人就是敌人 --邪教徒或者恐怖分子--他支持的我就反对,他反对的我就支持。为了使人信服,举例必用大科学家,世界一流大学,一流实验室的名号,虽然我不跟其中任何一种沾边。还好那时候我还不认识上帝,要不就打他的名字了。论据不管是实际经历还是自己推测的,先写上去再说。扬眉吐气啊!隔壁微软研究院的哥们居然都被我打动了,开始写 Linux 程序,学用 LaTeX 和 Emacs。不过几天之后我就把它删掉了,因为我自己都感觉到偏激。

于是就没管那篇文章了。可是没想到它竟然已经被转载到那么多地方,似乎引起不小的波澜。有段时间每天都收到十几封email,国内的,国外的,问技术问题的,夸我的,骂我的,讲道理的,鄙视我的,想交朋友的,语重心长的,号称要删掉机器上的 Windows 的…… 我的主页居然也占据了"王垠"在 Google 上的首选位置,把那个日本的什么王公贵族"李王垠殿下"都挤下去了。大家似乎都知道我天花乱坠的本事了,有人就想找我写文章向别人推荐商业软件,我很后悔没有趁机狠狠赚一笔。走到图书馆,亮出借书证,管理员张大了嘴说:"哇!你就是那个 Linux 牛人啊!",也不知道他是褒是贬。甚至有人把他的 BBS 昵称都改成了"坚决拥护精神领袖花生" (花生是我的外号)。为此还骗到了好几顿报告?quot;报告"是清华专用动词,意思是请客吃饭)。虽然我觉得自己身上没有什么值得自豪的东西,但是又有点为自己兴风作浪的本事感到惊讶。虽然我一再告诫自己要谦虚,但是不由的有一种毛泽东,甘地,甚至摩西的感觉。我更加体会到"网络上没有人知道你是一头猪"的真理性。其实,不但网络上没有人知道我是一头猪,实际生活中也没有人知道,其实我是一头笨猪。

这么长的时间之后,还有人写信给我说"深受鼓舞","提壶灌顶","对不起我还在用 Windows 给你写信","真想删掉Windows 啊" …… 我很好奇,我的文章真的有那么大的威力?我再看这篇文章,觉得有点惨不忍睹,看了开头就不忍心再看下去。我告诉同学我很后悔写了一篇这么偏激的文章,可是他?quot;徼枉必须过正,你没有错",所以我也搞不清楚自己这样写对不对,这样自责对不对。就像我从来不敢看自己照片,却有时被人称为帅哥,就让我无法判断自己是否帅一样。所以现在我就开始怀疑我自己是否真是一头笨猪。也许多年以后,我会正确的评价我的想法。就像我现在觉得我15岁的照片挺养眼一样,也许我会发现自己其实是一头聪明猪?

写这篇文章不是为了让自己免得被骂,也不是为了显示高深的猪的哲理。只是因为我深深的感到人应该有自己的判断力,不要简单的接受别人说的 DO's 和 DONT's。怀疑一切,同时又敞开心扉去了解一切。

看过《完全用Linux工作》的朋友,请仔细检查里面的 DO's 和 DONT's。

Monday, September 26, 2005

警惕IBM“挖坑埋人”

警惕IBM“挖坑埋人”

如果不加以警觉,IT服务行业将悄然冒出一个垄断者,这就是IBM。

在中国本土市场,联想已经以逃亡家的姿态离弃IT服务,更多的IT服务角色厂商已经或者将要阵亡,还有更多的或许只能成为IBM的工匠。

IBM温情辩解的背后是它挖坑行动的背影,如果中国本土甚至全球致力于IT服务的企业还不联合起来抗击的话,将会自动跳进IBM挖好的坑内,随后被埋掉。

IBM的战略转型是在郭士纳抱着豪赌的心态下完成的,而这场转型的成功在今后很长一段时间里,将成为国内IT服务厂商努力逾越的屏障与壁垒。

IBM的赌注

文/本刊驻京记者 唐宏梅

“如果建设IBM全球服务部的努力失败了,IBM——或者至少是我想象中的IBM就将会随之而失败。”郭士纳在回忆时不仅感叹到,也就是从郭上任伊始,他带领IBM向IT服务领域大举进军,并浩浩荡荡。

郭士纳的战略调整再次树立IBM的核心竞争力,并确立其绝对的行业领袖地位,同时,也让市场跟进和追随者们感觉IT服务领域的门槛难迈,IT服务壁垒高筑。

下赌IT服务

事实上,IBM依赖于产品和技术的服务部门一直存在着。只是此前的服务概念仅仅是基于IBM现有的技术产品的相关服务。而郭接任IBM一把手之后,他所倡导的服务理念是打算构建IBM的核心竞争力。

20世纪90年代初,微软公司的Windows操作系统和英特尔公司的微处理器芯片被合称为“Wintel两强霸权”,毫无疑问,这两家公司在各自领域里纷纷称雄。而那时,尽管IBM曾经在计算机领域引领过潮流并有众多高新发明,但IBM曾经所建立起的霸主地位开始因为PC电脑时代和网络应用的来临而岌岌可危。

郭士纳甚至担忧地想到,IBM在两大势力的狭缝中似乎没事可做,直到他涌现这样的念头:坚信客户要求将不同供应商的各种零件产品组装起来的行业机构。于是,提供“整体解决方案”,即将各种供应商提供的电脑零部件进行整合的技术方案,并将技术整合至企业流程中。

IBM的IT服务对整个技术决策发挥着极其重要的影响,其涉猎的范围包括建构系统、确定设备、实地电脑管理以及到后来扩展到相关的管理咨询服务。在郭士纳看来,IBM的服务弥补了其产品在时常上的功率较低、价格过高等缺陷,这使其客户能心安理得地接受IBM高昂的产品价格。

在IBM的全球服务部建立之前,由丹尼.韦尔什掌管着ISSC(整合系统服务公司),这个公司隶属于IBM,是IBM在美国的服务和网络应运单位,但这个公司一直得不到重视。尽管表面上看,ISSC是一个独立的公司,但事实上,它只是隶属于IBM的销售部。

1993年,在郭士纳与主管IBM服务机构的丹尼.韦尔什一次私下会晤中,两人一致达成共识,服务业务将完全不同于以产品为基础的服务,IBM的服务单位有必要向客户推荐微软、惠普、SUN及其他公司(竞争对手)的产品,同时,又能维修这些公司的产品并为客户提供相应的服务。“这种服务模式是IBM独一无二的竞争优势所在”,郭士纳为此十分激动。

但这种新的服务模式与IBM的传统文化有着激烈的冲突。尽管丹尼认为其服务单位应该是独立的业务部门,而不应隶属于销售部,但在最初的操作中,并没有立即将服务部门独立出来。郭士纳希望通过迂回的方式而不是与IBM的文化进行直接的冲突。尽管如此,问题依然爆发出来。一些抗议的人直接到郭士纳那里投诉服务部门的离经叛道(向客户推荐其他竞争对手的产品)。

与此同时,IBM在全球有几十个类似于丹尼所掌管的服务部门,也就是在这个时候,IBM开始在全球范围内整合所有的服务单位,构建IBM全球统一的服务机构,仍然隶属销售部分,同时引入外包制度和全球网络化服务机制。也就是在这个阶段,IBM正潜意识地制定着IT服务的行业规则,其表现为全球IT服务共同的方法论,共同的术语,技能以及相关的知识传播方法,并开始在全球大肆扩张IT服务队伍。

1996年,IBM的全球服务部正式诞生,并催生了IBM在IT服务领域霸主地位的形成。直到2001年,服务在IBM的价值为300亿美元,比1992年的74亿美元增长了4倍多,同时,IBM从事IT服务的员工占到公司总人数的一半以上。

IT服务的潜规则

据IDC的统计数据表明,全球IT服务市场的平均增长率为20%,而IGS(IBM全球服务部)的增长速度达到35%-40%,是业界平均水平的1.5倍。据IDC的IT服务行业预测和分析,2001年,IGS名列榜首,被列为“无可争议的巨人”。2002年,IBM以35亿美元并购普华永道咨询公司、10亿美元收购数家中间件公司、全面支持Linux。2002年11月20日,IBM公司在被称为“按需创新服务”(E-Business On Demand)的这一业务部门中投资10亿美元,“按需创新服务”业务部门与包括普华永道咨询公司在内的IBM公司商业咨询服务业务部门紧密合作。就在这一年,IBM以150亿美元的业务收入超过埃森哲,成为全球最大的咨询公司。

作为IT服务领域的领头羊,IBM培育了IT服务的这个市场,也制定了各种各样的潜规则,这成为许多市场跟进者的一个头疼的问题,也可以说是进入IT服务领域的门槛与壁垒。

国内著名的独立IT评论专家方兴东认为,“目前,IBM在一些非常重要的领域(诸如金融)形成了软件、硬件和服务在内的三位一体的垄断性壁垒。”而事实上,这也是郭氏在起初构建IBM整体蓝图时所预想的,如今,IBM已经达成其称霸IT服务领域的愿望。

中国IT服务市场里,IBM做到了“先入为主”。IBM借助自身特有的“三维迷宫”的矩阵模式,与其他部门紧密配合,提供从电信、金融、流通、制造到政府部门一揽子“解决方案”。

自从由IBM和中国铁道部(MOR)合资建立的专业IT服务公司,蓝色快车计算机工程技术有限公司在这一阶段成立,IBM首次在中国提出了专业服务的概念,并将这一理念迅速播洒。

“他们的技术实力确实很强”,在北京华胜天成科技股份有限公司服务集成事业部的客户经理吴燕军看来,IBM的技术优势已经使其完全垄断了重要行业的高端市场。诸如在金融行业,国内的银行里,IBM的服务器占据了大半壁江山。

市场调研厂商IDC公司的数据显示,2004年第三季度全球服务器的销售额为115亿美元,较上年同期增长了5.5%。IBM公司的增长速度更快,为6.3%,34亿美元的销售额使得它占领了31.7%的服务器市场。在IBM服务器市场的拉动下,其IT服务随之自然攀升,国内IT服务厂商只能望其项背。

相比之下,国内的IT服务厂商大多在低端市场徜徉。据华胜天成的吴燕军介绍,部分金融行业的企业客户出于成本考虑会购买诸如联想、曙光等国产的服务器,但在银行业里,国产服务器根本无法通过相应的产品检测。技术将相应的国内IT服务厂商挡在门外。

同样地,在IT服务业里,IBM通过最初进入这个行业,并潜心积累,已经形成一种品牌优势。“品牌的积累需要产品品质、资金投入,广告宣传等大量的投入”。国内一著名的营销专家如是说到。IBM的品牌优势更是为IT服务行业筑建了高高的壁垒。

而IBM在IT服务领域的角色被定位于一个风向标,也是这个行业潜规则的制定者。IBM在中国成立“蓝快”后,提出7*24小时服务,国内的诸如华胜天成的吴燕军告诉记者,“我们公司也有快速响应客户的服务模式”;2002年,IBM推出名为“电子商务随取即用”的服务,2004年,IBM再次提出“随需应变”,紧接着,国内的IT服务厂商神州数码随即提出“应需而变”……国内的IT服务商被IBM牵着走。

神州数码的“IT服务随需而动”与IBM提出的“随需应变”使用了完全相同的英文表述(均为“On demand”),其理念阐述与业务描述也多有雷同。神州数码并不避讳说自己是在模仿IBM。

市场跟风者

而向来被奉为硬件厂商佼佼者的惠普也随之努力将业务向咨询、外报等方向延伸。就在IBM大肆扩张IT服务版图时,惠普不甘示弱,向IBM发出挑战,但最终沦为市场的“煽风点火”者。

“将来,我们要在规模上超过IBM全球服务公司。但是,要成为用户第一满意的公司,我们必须注意不要发展太快。我们甚至要回避一些外包业务,因为我们不想破坏我们的用户满意程度。”2002年7月8日,惠普服务公司负责营销、战略和联盟的副总裁在新加坡表示,惠普要在3年之内超越IBM,成为排名第一的IT服务公司。

  据相关数据统计,当时IBM全球服务公司在亚太地区的市场份额排名第一,占市场份额的8.8%,惠普公司占6.1%,EDS公司占3.3%。

在惠普服务公司的这位副总裁看来,就中国的IT服务市场来说,惠普与IBM全球服务公司在营业额方面的差距不大。在亚太地区,IBM全球服务公司的销售稍强于惠普。

  事实上,就整体规模来说,惠普从事IT服务的员工有6.5万雇员,IBM全球服务公司在160个国家有14.8万人从事IT服务。就这一方面,惠普还有很长的路要走。

  IBM全球服务公司价值为350亿美元,惠普服务公司价值150亿美元。对此,副总裁表示,惠普服务公司现在的目标是在客户满意方面超过IBM全球服务公司。

  事实上,惠普服务公司的收入在惠普公司中是最少的。尽管,这位副总裁表示,惠普服务公司的业务正与惠普打印机业务一起给该公司带来收入。

然而,也有资深从业人员认为,惠普的咨询业务主要以提供技术解决方案为主,在提供管理方案的方面有所欠缺。无疑,在这场跟进中,惠普的举动并没有真正触动IBM的经脉,同时再次将这个壁垒抬高。

IT服务注定是联想不能承受之重。

联想的“光荣”与梦想

文/本刊驻京记者 董智超

2001年,杨元庆为自己和联想编织了一个IT服务的“美梦”,并用了3年时间努力效仿并追赶着IBM——IT服务领域的“老大”、所有从事IT服务的企业最具实力的竞争对手。然而,3年之后,联想和杨元庆却不得不承认,他们始终有一只“脚”徘徊在IT服务的大门之外,虽然做过种种的努力与挣扎,却终不得其门而入。

最后,联想的IT服务之梦不得不以失败告终。

画出服务联想“大饼”

2001年,时任联想集团总裁的杨元庆认为:“中国IT服务市场潜力庞大,预计市场总值将由2000年的8.4亿美元增加至2005年的64.8亿美元,年增长达50%。随着中国加入世贸,国内企业急切需要以信息化手段提高管理效率及竞争力,IT服务的需求将呈几何级数增长。”

实际上,吸引杨元庆的是IBM的IT服务业务所具有的盈利构架:以2001年第一财季为例,IBM服务咨询的费用与相配套的硬件服务器盈利相加,几乎逼近IBM总收入的80%。

于是在IBM“榜样的力量”鼓舞下,杨元庆为联想编织了一个“美梦”——转向IT服务,让联想从一家产品性的公司蜕变为一家以服务带动产品销售的公司。

2001年4月,联想提出向服务转型。在此后相当长一段时间内,IT服务被描述成“寄托联想未来的”业务。当时,联想为自己设定的目标是,IT服务业务三年后将占总营业额的10%左右。“联想要用三年的时间,以IBM为榜样,成为国内IT服务业的重量级企业,业务收入达到今天IBM的水平(当时IBM在中国的IT服务收入占总营收的20%以上)。”

作为一家自身缺乏咨询行业的管理经验的企业,联想选择通过收购、合资的方式组建全新的IT服务业务群。

2002年3月,联想宣布以港币5500万元现金加上联想企业IT咨询业务并购汉普咨询管理有限公司;当年4月,联想宣布投入现金人民币2333万元与智软计算机系统开发有限公司成立合资公司,共同发展保险领域IT服务;当年10月,联想宣布以总代价不超过2.2亿元港币收购国内实力最强的通讯系统和网络集成商之一的中望商业机器有限公司的重要业务及资产。

经过2002年一系列的商业运作,联想整合出一支金融服务团队,加上联想“嫡系”的政府与公共服务事业部、信息安全服务事业部、信息系统集成以及运营服务事业部等四大构件,联想搭建起来了IT服务业务“三纵四横”的布局。

如此迅速地扩张后的布局虽然看起来“圆满”,事实却是,联想IT服务部门的业绩远远低于集团期望值:2002财年,IT服务的收入仅占联想集团的1%。

必须注意到,联想并没有它想象的那么强大。在2000年提出这一计划的时候,它不过是家销售额20多亿美元的“小公司”,而IBM是千亿级的“巨人”。

而且联想也没有意识到,这个转型是个长期过程,不可能一蹴而就。在看似黄金遍地的IT服务产业领域,联想不仅没有实现向IT服务转型的理想,每年还额外增加数千万元的亏损。

事先就高估了自己,也把困难估计得太小,目前看来,联想转型失败是必然的。

汉普之痛

作为一家硬件企业的联想要向服务转型,必须跨越三大“门槛”:技术、咨询和软件。这三个方面中,尤以咨询的“门槛”最高。咨询的核心是经验,而经验又是需要相当长时间来积累的,面对稍纵即逝的市场机会,联想惟有通过收购的方式来换取时间。

联想收购国外的IT咨询企业成本比较高,而且本地化能力值得担忧。而当时的汉普经过1997年至2001年每年200%以上的业务收入增长后,已经成为国内最大的本土管理咨询及IT服务企业,已经成功为国内100多家企业进行了与信息化变革有关的咨询,为大约400家企业进行了信息化培训。经过比较,已经拥有一支专业的了解中国文化及掌握国际先进经验的管理人材队伍的汉普理所当然的进入了联想的视线。

2002年3月,联想入股汉普。

在控股汉普之后,联想对汉普的人事进行了一系列的调整:委派六位代表进入汉普董事局,负责参与公司重大决策,杨元庆出任新的汉普公司董事长,联想负责IT服务业务的高级副总裁俞兵出任执行副董事长,日常业务管理由汉普管理层独立进行,原汉普公司总裁张后启出任新公司总裁。

同时,联想总裁杨元庆给掌管IT服务的高级副总裁俞兵下了一道军令状:“2002年IT服务的收入达到1.5亿元,到2002年要占到整个营业额的15%,为90亿人民币。”也就是说,联想集团计划3--5年内将其销售额提高到600亿,服务要成为联想的业务支柱、利润支柱。事实却与联想的预想相去甚远,2002年4月至2003年3月,联想的IT服务亏损6140万港元,而汉普也只完成年初目标的一半,亏损近4000万。当时,有业内人士估计,“在未来还可能继续亏下去”。

更为可怕的是,汉普的内部有人担心,随着业绩的下滑,汉普将渐渐失去张后启领导时代的张扬与激情,影响力日渐式微。时至今日,事实证明这种担心是不无道理的。

2002年12月,张后启向外界公开透露,“因为身体的原因,向新汉普公司董事会辞去总裁职务”。据知情人士透露,张后启当时的主动离开很有可能是因为他的处境十分尴尬,联想在进行了资本运作后,就开始了对汉普的高层人事进行了调整,介入了汉普的经营和管理。

  张后启“隐退”后,不少汉普的老员工开始纷纷离开。据一位当时离职的汉普员工介绍,张后启走下前台后,汉普在理论创新方面,几乎没有任何举动。控股汉普以前,联想在IT服务上存在很多问题,而对于汉普,他们也没有能实施一个适合发展的战略。不少张后启的旧部开始对联想“新政”感到迷茫,找不到方向,导致大批业务骨干相继离开。

如今,国内的IT服务业非常不看好汉普。有业内人士指出:“汉普这两年几乎没有接什么单子,仅存的几个客户对他们的服务还相当不满意。虽然几年来公司的流水有上升趋势,利润却一直没有到来。”另有某著名公司的分析师说:“汉普在国内做砸了几个大项目,名声已经大不如以前了。”品牌可以说是从事IT服务的企业的一大“命脉”,牌子砸了,接单当然更加困难。
有原汉普高层向媒体透露:“3年后的汉普已是今非昔比。老将基本走光,从无数个项目中积累起来的经验也流失殆尽。现在的汉普基本上成了大学毕业生练手的地方。在原汉普总裁张后启走后,公司一直陷入混乱,作为咨询公司核心竞争力的知识库也一直没有建立起来。”
  在与IBM角逐华为外包业务中的落败,就是证明汉普落魄的最好注脚。华为对汉普的超低报价做出的评价就是:联想是外行,这个价格根本做不出来。此次竞争最后以IBM中标结束。

联想、汉普沦为IT服务领域的“外行”,对IT服务行业充满幻想的联想与联想IT服务布局的重要组成部分汉普,却落得今日下场。

到此时,杨元庆也不得不承认“IT服务的文化、组织结构跟联想所认定的应该不同。”那么IT服务的文化、组织结构到底应该是什么样的呢?

IT服务的逃亡家

在过去的3年中,杨元庆与联想一直努力试图改变联想在大众眼中“PC厂商”的角色,希望以全新的“全方位IT服务提供商”形象出现在众人面前。这3年中,我们清晰看到的是,IT服务与联想主营业务在发展规律、业务模式、管理体制及发展阶段上都存在较大差异,这块业务从未摆脱过亏损的尴尬境地。

2004年2月,联想的新战略公布:联想只保留PC和手机作为重点投入业务,IT服务被划为第三类业务——IT服务注定将以某种方式从联想剥离。

2004年7月28日,联想以股权置换的方式作价3亿元人民币将IT服务业务彻底出售给亚信科技,联想效仿IBM的“IT服务美梦”终于破灭。

柳传志曾毫不避讳的承认,联想在投资互联网和IT服务的多元化战略上的失误。

究竟是什么让这位中国IT业界的“老大”在IT服务市场上“吃瘪”呢?

事实上,几乎和联想同时步入这一市场的神州数码还在苦撑局面,转型近3年,而服务业务在其全部业务中的比重至今不过10%;北大方正自从2003年10月宣布进入IT咨询以来就未见下文;同样曾经在2003年把服务列为转型方向的浪潮近来也不再过多提及服务。其他小企业有的干脆已经消失,有的则回到了分销、系统集成的老路上。

“IT服务”为什么会成为仅仅停留在国内IT企业嘴上的口号?进入IT服务领域那么艰难吗?

与“蓝色巨人”IBM相比,在IT服务领域苦苦挣扎着或是挣扎过的国内企业看起来虚弱、无助的象个“孩子”……

从某种程度来说,神州数码的简单抄袭正中IBM的下怀,郭为对IBM的感激显然错位。

神州数码抄IBM?

文/本刊驻京记者 董智超

到现在为止,神州数码的掌门人郭为已经承认当初看待IT服务的态度过于乐观。

半年前, “2004 IBM整合技术论坛”在上海召开。此次论坛是IBM公司首次全方位地诠释“随需应变”整合之道,并全新推出“整合计算”理念及技术。神州数码作为“大会唯一指定特约赞助商”参加了本此次论坛,神州数码的CEO郭为在会上做了《IT 服务随需而动》的演讲。

通过此次演讲,我们可以清楚地发现,一直以专业IT服务企业自居的神州数码是其市场上最大的竞争对手——IBM的忠实推崇者和追随者!

郭为认为:“作为一个全球领先的IT企业,IBM在业内提出的很多引导趋势的概念,大多是源于自身发展进程中的经验。它所提出的新概念、新理论一定符合整个IT产业的发展趋势。”郭为的言辞之间足见对IBM的推崇之意。

符合全球发展趋势是否就一定符合“中国国情”,适合中国的IT服务企业和中国的市场呢?

简单COPY

显然,IBM提出的“On Demand”是站在跨国公司的角度。它所面对的客户是全球500强之类的大企业,这些企业基本上都完成了价值链整合,必须站在全球化经营的角度来考虑问题。

IT产业向“On Demand”方向发展也许是一个必然的趋势,IBM已把这个概念总结、提炼出来, 在“On Demand,随需应变”之后,神州数码堂而皇之的提出了自己的“On Demand”概念——“IT服务,随需而动”,神州数码此举受到了业界的广泛置疑,神州数码的“随需而动”是不是IBM“随需应变”的“超级模仿秀”?

郭为对此的态度很坦然,“模仿本身就是一种创新”,这样的回应肯定了“IT服务随需而动”其实就是“On Demand 随需应变”的国产COPY版,只是IBM很“大方”,“周伟琨先生认为On Demand这个词不是IBM的专利,他很愿意神州数码也使用这个词,”郭为言谈间对IBM的大方显得颇为感动,同时,他认为神码将“on Demand”翻译为“随需而动”还是颇有深意的。“我们用这个‘动’字,是表现一种主动性、积极性,也蕴含有通过我们的努力推动中国企业在IT应用方面不断向前发展的意思。根据市场变化以及企业发展层次的变化,企业对IT的需求必然产生一些变化,但是过去很多是被动的,客户会站在自己现实的需求上提出IT规划,然后由我们来帮他们实现,现在我们希望自己能够为他们提供更具前瞻性的产品。”

郭为也承认,IBM的“随需应变”与神码的“随需而动”有一定差别,而事实上更值得注意的是,IBM提出的“on Demand”的基点高度绝对是神州数码可望而不可及的,神州数码在匆忙COPY人家的“洋版本”之前,是否掂量过自己的“斤两”?

缺乏成功的惯性

早在2000年秋,麦肯锡为神州数码制定了新公司未来5年战略。

麦肯锡给神州数码提供了三条道路:一条是通过电子商务改造分销体系,成为供应链管理型企业,榜样是英迈国际和香港利丰;第二是由渠道分销前移,成为合同制造企业,范例是Flextrix;第三就是供应链管理、软件集成和网络基础设备三箭齐发,最后会合在IT服务的大旗下。郭为选择了最艰难的第三条,按照麦肯锡的说法,只要做的话,神州数码就可以在资本市场上达到若干倍的价值增长。

“如果我们老是做分销,就像拉磨的驴子那样总是原地踏步走。”郭为曾多次如此表示,从这个意义上讲,“神州数码进入软件服务领域,不仅仅是简单的转型,而是从理念上去提升企业要做什么”。

2001年,神州数码豪气万丈地在巨型路牌上打出“IT服务中国”的广告语,大张旗鼓地向服务转型,并订下了宏伟的“300亿元”目标。

但现实显然与麦肯锡给郭为的蓝图相去甚远,神州数码的转型并不顺利。神州数码分拆以来,分销是惟一连续增长的业务。IT分销业务占公司总营业额的比率已经上升到86%,这个数字委实值得神州数码尴尬。国内一家知名咨询顾问公司的人士表示:“从财务报表来看,神州数码的软件和IT服务所占的份额实际上并没有上升,反而是停滞甚至是有所下降。而从市场表现上看,神州数码无论是软件还是IT服务,都没有推出非常有竞争力的产品。无论是品牌影响力,还是客户影响力,现在都还远未达到他们在分销领域的影响。”

三年之后的2004年,那“300亿元”的宏伟目标足以使神州数码沦为他人笑柄,身为神州数码掌舵人的郭为也不得不承认当时的确“把问题看简单了”。

郭为认为“时间和事实证明这个方向(IT服务)是没有错的,但是速度慢了一些”。 除了客观上的中国企业IT市场认知度较低外,神州数码的战略制定和执行能力也是一大因素。

在熟悉神码的业内人士看来,“当一个战略确立之后,组织架构、人才架构都应该去适应,但实际上在适应的过程中,神州数码走了很多弯路。”虽然提出了向IT服务转型的业务方向,但是内部的组织结构、激励考核体系、领导班子的人员构成,却没有完全进入“角色”、适应这种战略需求,速度缓慢是必然的结果。

而且,在这个过程中,神州数码与联想犯了相同的错误,“从开始我们就把问题看得过于乐观了,在2000年在网络泡沫的影响下,我们对很多东西的认识过于激进了”,然而事情绝没有他们想象的那么简单,“尽管我们当时也提电子商务是持久战,但对其艰巨性的认识还是不够的。”

在过去的2004年中,数码设备产品成为神州数码市场增长的亮点。对于神州数码这样一家自诩为国内专业的IT服务企业来说,这样的结果极具“讽刺”意义。

经历了种种打击和置疑后、神州数码看到IBM提出“随需应变”时,勇敢跟风而上是不是一种基于浅显膜拜,抓住“救命稻草”的心态呢?

IBM挖坑神码跳

不管神州数码用什么样的方式和文字来诠释“On Demand”的概念,只要身在IT服务领域,神州数码就必须直面与IBM这种超大型企业的竞争。

在与IBM的力量对比上,郭为用了一个非常形象的比喻,“IBM是一个大厨子,我们是一把小刀片,因为我们的品牌、技术确实没有IBM强。”在现实生活中,我们都知道小刀片是被玩弄于厨师股掌之间的工具,郭为如此比喻让人不禁为神州数码的命运捏一把汗。

而郭为的另一段话,更是语出惊人。

不同的企业由于发展层次不同而需求不同,相同的企业在不同的发展阶段需求也是不同的,如何满足客户如此广泛的需求,是神州数码必须研究的课题。

“为客户提供初始阶段的IT需求,是我们传统的能力;满足相对高端的规划需求的能力,是我们近三年来致力培育的。从传统的分销企业演化到IT服务型企业,这个经历使得我们具备了很多能力。这些年来,自身的发展进程使得我们经历、体悟了企业在不同发展阶段中的不同需求,这不是任何一个纯粹的软件企业,或者咨询规划公司所能具备的。”郭为对此信心十足,“我们跟IBM最大的不同,就是我们演化的起点是分销企业,所以我们天然的没有一种品牌情结。”

众所周知,IT服务最为重要的是品牌、项目管理能力、掌握资源的能力和集成能力。从IBM身上,就可以深刻体会这几点要素,IBM之所以能够在IT服务市场获得巨大成功,很大程度上由得宜于其巨大的品牌拉动力。“品牌”在IBM的影响下,已经成为一家IT服务企业通向成功之路的不可或缺的因素了,神州数码公开摒弃了“品牌”这一要素,原因何在?

从目前神州数码的业务面来看,IT服务只占集团总营收的百分之十几,关于IT服务业务在未来将达到整个集团的比例,郭为的说法有些类似于外交词汇般的“圆滑”,“我们现在最好的方法不是去预测未来,而是搭建一个很好的业务结构,使得这个结构能够‘On Demand’,我们把自己的业务分为三大模块――传统分销、增值业务和IT服务,这三个模块之间的变化是跟整个市场的变化有关系的。从目前中国的市场情况来看,硬件、软件、服务三者的需求比例处于一种不平衡的状态,如果我们非得去追求什么三大业务模块之间的平均发展,必然与市场拧着干,我觉得意义不大。”

如此看来,神州数码学习IBM已经到了讨好的地步。而IBM也可能正在悄然挖坑,郭为正带着他的人纷纷往里跳,只差大喊:“谁来埋我了!”

IBM俨然已经成为事实上的垄断者,如何打破这一格局,联盟是个关键。

联合阻击IBM

文/本刊特约记者 曹宇

在中国IT服务领域,试图向IBM发起挑战的企业已经所剩无几了,在这中间大联想的IT服务战略的最终以“倒手”亚信失败而告终。

而当我们梳理联想在IT服务上的发展轨迹时,惊奇的发现,联想在IT服务上的走过的路和IBM当年通过大规模并购的方式是如此的似曾相识,唯一不同的是,联想并没有IBM的基因,简单的移植和克隆是行不通的,结果联想失败了。

挑战IBM的IT服务的路上,谁将是倒下的下一家,作为联想的“同胞”兄弟,神州数码也开始了IT服务亦步亦趋的追随运动,在手机业务失败,分销业务增长空间有限的前提下,郭为所提出的按需提供IT服务的理念替代了以往的“三段论”说教,联想没有成功,神州数码能出其右吗?

IBM的IT服务是不可以复制的,在IT服务领域,IBM已经建立起了强大的行业壁垒,从技术体系、品牌诱导、规模上,IBM已经形成了封锁整个产业链的闭环结构,然后,这种闭环的IT服务架构戴着其倡导的“随需应变”的概念帽子在逐渐成为一艘无敌战舰。

IBM俨然已成为事实上的标准制定者。标准即意味着垄断,虽然IBM不承认自己制造了行业壁垒,但IT服务言必谈IBM的现实已经将其表露无遗。在中国,我们考虑的是如何打破这种IT服务一家言的局面,如何在IBM的IT服务壁垒形成后撕开道口子。特别是随着中国的电信、金融等关键领域已经被IBM渗透进来的时候,我们更需要深思 。

IBM的野心

中国IT服务市场去年收入增至37.3亿美元,但该市场中有部分投入不仅没有为企业提高效率、降低成本,反而拖了后腿,IDC中国首席分析师谢亦冰在接受记者采访时表示。而之前,对于IBM、HP等国际上的IT服务概念兜售者,也有人认为中国目前的IT服务市场是一个被严重妖魔化的畸形儿。

当去年IBM以35亿美元收购普华永道的咨询部门时,一些业内人士便开始惊呼,IBM将在IT服务领域一手遮天。而2004年12月IBM彻底将PC与笔记本业务甩给联想时,IBM在IT服务领域的体系已经羽翼丰满。关键的一点时,在别人看来IT服务拖后腿的时候,IBM已经当作自己的核心竞争力和利润中心来对待。

当年的预测已经演变为事实,在收购了普华永道的咨询部门后,IBM已经打造出一个包含整个IT产业链条的“巨大航母”。至此从前端的咨询、方案到下游的硬件、软件、系统集成以及后端的服务,IT产业链条的每一个环节,IBM都拥有了最为强大的队伍。

IBM计划是依靠高端的咨询能力切入IT服务,通过强大的硬件、软件、系统集成以及维护能力获得整个IT服务的全单,从而将整个价值链据为己有,最大限度地获取利润,并将竞争对手挡在门外。

IBM专利辅助标准

作为信息技术服务、技术创新和市场竞争的重要武器,IBM高度重视开发专利。据报道,IBM2003年获得美国专利数再次位居各大公司之首,在IBM2002年所注册的专利中,除了硬件和组件外,有超过1000项是软件方面的专利,这为公司的IT服务战略提供了坚强后盾。

除了IBM的服务器、笔记本、大型机等硬件设备外,IBM在IT服务领域最为强大的五大中间件矩阵更是其专利的聚集区,这包括应用服务器Web Sphere、协同软件Lotus、数据库软件DB2及后来通过收购来的Rathional瑞理软件。

无疑,垄断中间件显然要比卡住应用软件这一层级更为重要,作为企业应用的开发平台,IBM在全球发展其ISV(独立软件开发商)合作伙伴,以联盟的方式推广自己的中间件架构,而中间件的体系则是彻头彻尾的标准化的过程。

在中国,IBM通过“人才孵化计划”和技术服务大会的形式推广自己的软件体系,作为IT服务领域老大位置的IBM,在IT服务行业的权威性无庸置疑。随着越来越多的软件开发商“团结”在IBM的体系周围时,这种垄断性的服务体系就会被无限制的得以传播。

该商业性的软件体系推广计划就是炮制行业标准的过程,虽然,IBM将其与软件开发商的关系美其名为“双赢”,当合作活动卖掉应用软件时,自然就会带进IBM的中间件、服务器,安装调试,系统继承甚至企业咨询的服务。

有业内人士认为,IBM针对ISV的免费培训计划类似于感情投资,只不过现在打着公益的牌子行事,但最终都会打上IBM的品牌烙印,无形中帮助IBM成为行业标准制定者的权威。

IT服务的出路

在联想向IT服务掉头宣布失败后,国内已经鲜有独立的企业能与IBM相抗衡,包括用友、金蝶、神州数码往往是各自为战,但软肋都是停留在基本的行业应用软件的层次,因此,根本就无法撼动IBM在IT服务领域根深蒂固的地位。

虽然也有人认为,在IBM的IT服务难以形成象微软垄断操作系统那样的局面,但即使剔除其潜藏在背后的软件中间件体系的渗透部分,单单是IBM的资金实力、品牌地位和用数十亿美金砸出的“随需应变”的概念,国内的软件企业就已经难以为继了。

中国工程院院士倪光南在接受记者采访时表示,国产软件应该通过自主知识产权的中间件产品,在底层技术、安全加密算法等方面有所作为,才能为电子政务、电子商务和行业应用等国家信息化建设提供最有力的基础保障,彻底打破国外诸如IBM等同类产品对中国市场的垄断。

12月18日,以用友金融公司为核心的金融IT服务联盟正式成立,这可能是国内第一次通过行业联盟方式的试水。显然,IBM在金融领域的硬件和后台业务管理软件上拥有不可忽视的市场份额,特别是在底层技术、安全加密算法环节上,我们必须有足够的话语权。

但对比之前曾出现的“中国IT服务联盟”和这次用友牵头成立的“金融IT服务联盟”都有一个致命的弱点是联盟过于松散,只是简单的企业间、产业链上的软硬件搭配的联合,而这根本就无法从根部对象IBM、HP等厂商形成挑战。

而且,IT服务在中国已经运行了数载,作为未来可能会控制中国所有行业信息化的IT服务,其战略地位已经凸显出来,在国内IT服务企业散、乱、小的局面下,只有站在更高的层次上,由政府相关部门出面成立以切入底层技术为主的行业联盟才能有希望避免IT服务国际标准壁垒的形成。

走行业联合开发、联合推广的特殊产业模式必须破冰,否则未来中国会在IT服务领域输的很惨。中国软件协会中间件分会秘书长朱希铎也强调了这一观点,在IBM强大的中间件领域,国内中间件厂商只能联合起来,才能打破国外厂商企图形成的市场垄断。

大象的舞步 IBM甩掉PC何去何从

大象的舞步 IBM甩掉PC何去何从

甩掉了PC的IBM到底欲向何处去?彭明盛的答案是:IBM的目标是改变你的企业的业务流程与运营模式,而这将是一个5000亿美元的市场

  变革者

提问:IBM所完成的最伟大的发明是什么?

  如果你对蓝色巨人的历史足够熟悉,或许你会很难在1930年代的打孔机、1960年代的大型机与1980年代的个人电脑中作出选择——OK,打孔机也许太遥远了,而PC的成功则不是IBM独自的功劳,不过别忘了还有另外一个选择:1990年代挽IBM于即倒的IT服务。

  但最终的答案无疑只有一个:IBM本身。

  如果刻意探究,从很多角度而言,IBM在近代商业史上都非独一无二:这家拥有94年跌宕起伏历史的公司既非最长寿者,也不是表现最为稳定的,同样不是规模最大、市值最高的。但过去50年来,它始终被视为美国的标志之一,原因何在?

  让IBM与“财富500强”榜单上多数公司区分开来的理由在于,很少有一家公司像它一样长期扮演现代公司这种组织形式的变革者,以及科技市场的开拓者。80年前,当汤马斯·沃森(Thomas Watson)将计算制表记录公司(CTR)改名国际商用机器公司(International Business Machines),这还只是一家以生产钟表为主营业务的默默无闻的企业,但老沃森最早意识到企业文化对企业塑造的影响,并前所未有的在一家企业上打上了色彩鲜明的个人烙印。而他早年的宣言“整个世界都将是我们合法扩张的领域”则解释了为何是IBM成为跨国经营的先驱。

  其子也是其继任者小汤马斯·沃森(Thomas Watson Jr.),经过难以数计的与父亲及公司高层的争执,独断地将IBM乃至人类带入了大型机时代,同样富有历史意义的是,他的成功直接导致了企业对于研发投入的重视。但当IBM后几任CEO试图在这一市场上围起篱墙,丧失继续扩张的野心,它就濒临了破产。而这恰好为外来者郭士纳(Lou Gerstner Jr.)提供了展现几近完美的企业再造艺术的机会,也使其成为上世纪末最富优秀的CEO之一。

  正是因为此种传奇性,当郭士纳成功挽救IBM并功成身退,人们对有着30年IBM经验的第7任CEO彭明盛(Samuel Palmisano)的期待只有一个:他能否率领IBM重返黄金岁月?

  这也是IBM内部的呼声。2003年9月的一次媒体见面会上,当《环球企业家》问及IBM大中华区董事长周伟焜前后两任CEO的差异,他的回答是:“郭士纳先生来的时候,他的目标是让大象跳舞。而现在彭明盛先生要做到的是让IBM往日的光辉重新燃起来。现在是晚上,月亮之外还有星星。我们希望从晚上变成白天:白天只有一个太阳。”

  并非易事。2000年初彭明盛成为IBM的总裁兼首席运营官时,网络泡沫破碎,IT产业进入其历史上最漫长的一次整体滑坡。到了2002年初彭明盛正式获得权杖,IBM刚刚度过一个收入锐减50亿美元的财年。而他还必须面对9·11过后的惶恐情绪和安然公司等一系列丑闻引发的投资者对大型企业的强烈不满。

  此刻最简单的选择无疑是继续郭士纳在任时已经证明可行的商业模式——在郭士纳去往IBM之时,1994年,彭明盛即进入服务部门,并在数年间将其打造成占公司总收入42%的现金牛——但彭明盛意识到:IT服务已经成为整个行业最被看重的机会,固守于此将可能重演1980年代后期大型机带来的困局。“无论你创新,还是在常规市场,如果你做和其他人一样的,你就处在一个低利润率的市场里。”彭明盛说。

  如何做到基业常青?如何在企业最好的时候选择求变?IBM的路径或许能够带给中国正在转型中的企业一些思考和启发

  周伟焜 ibm转型心得  

  作为IBM“世纪俱乐部”会员,曾历任IBM多个地区负责任的周伟焜可谓最为熟悉IBM历史的华人。而他经历过IBM的兴盛、衰落与重振后,总结出三个心得:实现基业常青这个梦想应该着重加强三方面的竞争优势。第一是实现战略和执行的融汇贯通;第二不断打造创新和转型的能力;第三是利用高绩效的文化吸引最优秀的人才。而所有这些竞争力的建立,都应围绕着属于这个企业的独特的核心价值观来进行。

  在周的看法中,战略和执行必须做到融汇贯通。战略与执行应该是鱼与水的关系,相互依托,不可分割。战略包括市场洞察、战略方向、创新重点和业务规划,而执行则是战略得以顺利实施的保证,它涉及到人员、正式组织、关键任务以及气氛和文化等多项因素。目前很多企业有一个误区,就是往往将战略与执行割裂来做。而真正目标明确、愿景清晰的公司,一定会在制定战略的同时去考虑战略的可执行性;而靠机会成功的公司在快速发展的过程中,则需要一个相对长期的战略去保证他们能够为下一次机会到来做好准备。

  其次,创新和转型的融合是IBM多年来屹立于市场的法宝。可以说,创新是态度,转型是手段。很多企业比较重视科技的创新,认为创新仅仅是发明和技术上的突破,他们靠研发最先进的技术来保持竞争力,周游于价值链的最高端。但是创新不止于科技创新,还在于创新的业务模式。成功的公司应致力于将发明与行业洞察力相结合,用真正有价值的创新去推动生产力的发展。

  创新能够改变人们思考问题的方式和方法,而转型则要求不断变化。企业家们必须在制定战略和价值观时就注意强调创新,并致力于使业务模式与市场和客户需求相配合,面对不断变化的市场来调整自己,向着一流的业务模式和流程进行转型。这是企业保持长盛不衰的诀窍。

  最后是高绩效的文化来吸引最优秀的人才。除了需要持之以恒的价值观,高绩效的文化是留住并激发员工潜能的关键。IBM的看法是,企业要找到最合适的人,用各种方法使他们得到锻炼和培养,然后放手让这些人去工作。这些“种子选手”将带回给老板各种成果。根据成果,管理者对这个人的发展潜力会有个大致的评判。但更重要的是,企业从开始就要以高绩效的文化作为驱动,即强调用最好的人,要求员工做到最好,强调业绩和成长,并按照绩效来进行奖惩。

  尊重人才被IBM奉为最高信条,并通过各种措施努力去吸引、激励和留住行业精英。IBM全球有近40万员工,公司使用很多技术来保证员工的沟通和提高工作效率。除了让员工参与公司价值的全球范围的讨论,在培养员工上也投资巨大,员工可以从内部网上方便地获得他所需要的培训。IBM还实施中国传统的“师徒制”做法,并通过透明的绩效考核表彰优秀的员工,为之提供发展机会。

  最重要的在于,这三方面竞争优势的培养,将始终围绕一个中心来进行,这个中心就是企业的核心价值观。这正是彭明盛在IBM传统价值观的基础上进行延伸,确立“尊重个人、追求卓越、服务顾客”新规则的原因所在。

  2004年底,IBM将其PC业务售予联想集团。虽然12.5亿美元的价格对于一家年收入达到900亿的企业而言微乎其微,而多年来IBM PC业务的亏损也影响了公司整体的利润率,但作为该公司1980年代以来最富标志性的资产,IBM甩掉PC,就像爱迪生开创的通用电气卖掉照明业务,或者迪斯尼关掉动画业务一样,成为一个历史性时刻。

  “卖掉IBM PC的人”彭明盛并不担心。经过近3年的摸索,他已经找到了一个价值5000亿美元的市场:不仅为企业提供IT相关的服务,并进一步帮助企业改变商业流程,外包其核心业务以外的功能部门。与此同时,他也大刀阔斧的改变了IBM,既对郭士纳时期的某些策略有所修正,也对一些IBM的传统进行取舍与更新。凡此种种,均被商界观察人士视为向传统蓝色巨人告别之举。

  此一转型定能成功?现在下此结论尚早。但在彭明盛看来,这是一个大胆但风险不高的计划,因为IBM在跟随着市场需求行军。

  到2005年底,IBM将成为IT历史上首家年收入达到1000亿美元的公司。不仅如此,彭明盛还承诺,公司将保持每年最少5%的销售增长以及两位数的利润增长。他希望在10年内,IBM的咨询与外包业务能够成长为一个年收入500亿的业务。

  “把你最难的问题给我们”

  虽然彭明盛接手的IBM与郭士纳进入时的已经大为不同,但有一点是一样的:两人都需要对公司的未来进行全新勾勒,可他们都没有明确的战略设计。郭士纳在上任之初曾表示:“战略是最后需要的东西。”

  曾被讥笑为“只有卖饼干经验”的郭士纳曾对周伟焜说,他之所以有信息管理IBM,原因十分简单:“这个公司里面的所有的高级主管没有一个人曾经做过客户,只有我曾经是IBM公司的客户,所以我能够把这个公司定位于:为客户着想。”但对于曾在RJR纳贝斯科和美国运通任高级职务的郭士纳而言,他以往的IT产品采购经验让他清楚IBM的缺陷何在。针对此,他逐渐将能够最大程度解决客户需求,并实现业绩增长的IT服务业务设为公司转型的核心。

  正因此,当彭明盛时候回顾,他认为,郭士纳时期最大的成就并非是找出了一套改变IBM的战略,而是让IBM重新确立客户中心的导向。

  彭明盛也有一个相对清晰的理念:从客户利益最大化角度出发,科技服务不应再以产品打包的形式销售,而该像水、电一样根据使用量收费。

  但当2002年8月他在一次战略大会上,把这个理念表达出来,并要求下属设计出一个像早年的大型机一样的跨时代的产品,没人知道如何实现这一极为宏大的设想。

  彭明盛没有将会议继续下去,而是让所有与会者回去询问自己的客户,然后将回溃汇集成最终的答案。

  3个月后,2002年10月29日,在给高级管理层的一封电子邮件中,彭明盛写道:“只有一件事将伟大的企业与其他企业区分开来——设定并引领其所在行业的日程。这一直是IBM历史上的一个特征。现在我们看到了一个设定日程的机会,我相信我们就在下一个巨大机会的边上,这不仅是我们公司的机会,也是整个IT业的。”

  这一巨大机会,就是“随需应变”(e-business on demand)。仅从IBM每年全球推广“随需应变”的广告预算数额——5亿至8亿美元——就可知道彭明盛决不是一时冲动。

  对于IBM这样一家技术型企业而言,这种转变不可谓不大:以往的多数技术创新都是由技术推向市场,比如电脑、操作系统以及互联网导致信息产业的繁盛,这被周伟琨比喻为“有了技术,有了产品,然后再来找客户,把产品推广到每个需要它的领域里去。”但彭明盛反其道而行:他希望一切都从客户处反推。

  2003年1月末,IBM召开年度全球管理层大会,一个时间极长的讨论是关于如何围绕随需应变战略整合公司资源。最终彭明盛将讨论打断了,回忆时他说:“我听的非常耐心,他们也非常认真,也有不少优秀的员工”,但所有的讨论都是从公司内部出发的,彭明盛建议所有人都应该走出IBM,倾听客户的意见,它们最想解决的问题,并找出应对的方式。“如果他们真的为客户解决了问题,也就知道我们应该做什么了。”

  作为公司的CEO,彭明盛本人以身作则,用大量时间拜访重要客户。当他去到沃尔玛,他对对方的承诺是:“把你最难的问题给我们”。

  最难的问题只有一个:怎么让每辆购货手推车实现更多销售?

  IBM组建了一只由管理层、咨询顾问和技术专家组成的小组,深入到细节之中。他们很快发现,对于消费者而言,在超市中最大的问题是很容易迷失方向,很多时间用来寻找自己的目标,而不是购物。针对此,IBM开发出一种内附扫描仪和液晶显示器的购物车,这就让它能够显示超市内地图,并提供购买相关产品的信息。这一便利了客户之举的直接效果是能让人们购买更多商品。

  在这次大变革中,彭明盛同样在小心翼翼的避免IBM历史上曾经犯过的错误,比如为了保持利润率而无视市场的变化。在其前任郭士纳上任不久后,他发现公司持续丧失的一个重要原因是为了维持大型机S/390的丰厚利润,决策者们宁可丢弃市场份额也不降价。强调勇敢面对现实的郭士纳迅速制定了积极的降价策略,同时用10亿元进行技术更新。7年内,每台大型机的价格下降了96%,但销量高速增长,到2001年他离任时,当年10亿元的投资回报为190亿美元。

  早在彭明盛任总裁时,他就与成本更低的开放原代码的操作系统Linux的创始人里纳斯?托沃兹(Linus Torvalds)亲密接触,随后宣布IBM将在此领域投资10亿美元。随着IBM应用Linux的增多,它能够在很多层面帮助客户降低成本。

  跨越边界

  经历了2001、2002年连续两年收入下滑,IBM的业绩在2003年终于得以回升。服务业务占公司总收入的比重更进一步由郭士纳离任时的42%增长到48%。但一个隐忧是,当IT服务成为众矢之的,它会不会硬件一样,被戴尔为首的成本为王型企业在价格战中吞噬?

  别忘了IBM早年在大型机领域的教训,为保护此市场不受侵袭,它一度反对客户/服务器电脑和个人电脑的开发,但芯片技术的高速发展和新竞争者的不断加入,终于让IBM丧失阵地。

  对策只有一个:找到新市场。对于彭明盛本人而言,这个启示出现在2年前的与宝洁集团CEO雷富礼(AG Lafley)的一次会面上。雷富礼让彭明盛猜一猜宝洁的10万员工中真正必须留下来的人有多少,最终的答案是:1/4足矣——其他如人力资源、客户服务等工作都可以外包。

  事后经估算,彭明盛发现,这是一个年收入可以达到5000亿规模市场:一张IT企业从未企及的“大饼”。而且,IBM将可获得20%的运营利润率,这是传统的IT服务的利润率的一倍。

  显然,没有企业会在没有任何好处的情况下外包自己的业务。首当其冲的杀手锏,仍是价格。比如2004年IBM在印度收购当地第三大呼叫中心公司Daksh,就能帮助客户节省颇多。

  仅靠价格显然远远不够,IBM将自己的优势定位于帮助客户改善企业流程,借助最先进的IT技术,加快企业内的有效信息的传输,由此使管理层对市场的反应和对企业的变革速度加快。IBM甚至希望,能获得一些商业人士赖以为生的工作,比如对于信息的获取与分析。

  传统的IBM会就是否进入一个新的业务用数月的时间进行研究,而现在,IBM设立了诸多“特别行动小组”,他们通过行动效果决定是否应该进入某个新业务。

  先从挖掘老客户的潜力开始。比如芬兰航空在2001年时曾与IBM签定一个长达十年的数据中心运营合同,而IBM的服务与研究部门主动帮助芬兰航空建立数学模型,寻找增加客户忠诚度、降低成本以及改善回溃率的方式。

  2002年,马拉松石油公司希望降低其财务部门的成本,并实现公司绩效数据的及时更新、显示。IBM的咨询人员分析了马拉松的商业流程后,所做的并不仅仅是升级其软件系统,而是建议改善公司整体的财务流程,将其应付账款从18天缩短到8天。并为管理层建立了一个可随时监控数据的“仪表盘“。当整套咨询任务结束,马拉松将其大部分财务管理工作交给了IBM,与之签定了一个7年,总价值1到2亿元的外包合同。

  为实现目标,彭明盛先于2002年中以39亿美元收购了普华永道咨询公司,又用21亿美元收购了Rational软件公司。这让IBM拥有了为客户提供咨询等多种后台服务,而不是局限于IT产品服务的可能。

  应该说,IBM历史上没有任何一个时期比现在更强调有意识的创新。出售其PC业务也是如此,虽然IBM有此打算至今已有10年,但从未真正实施。虽然其亏损影响了公司整体利润率和股价,但好处是IBM PC在众多企业内拥有很高的渗透率,这便利了IBM进入企业提供IT服务。而彭明盛自2000年升任总裁与COO后便开始积极推动此事。退出这一市场总价值12000亿、但每年增长仅有6%的领域,对于IBM而言最大的好处是企业文化进一步集中于创新与服务。

  随着对市场的摸索加深,在原有的会计、人力资源、客户服务和采购四个业务的基础之上,IBM正在进军6个新领域,这包括消费电子产品售后服务、保单索赔客户服务、优化供应链等。

  软件部门的3.8万名员工也被重新训练,让他们更加聚焦于银行、保险、汽车、能源、电信、生命科技等12个主要行业的主要商业问题。关于IBM软件部门应该围绕12个关键行业重组的主意就来自于客户,而硬件业务也由此进行调整。不仅如此,IBM还在增加商业研究的员工,在2002年中期时,IBM内专心于此的人数仅为3500名,到今天这一数字是5万名,并以每年一万名的速度增长。

  以往,IBM的3.8万名销售人员代表各自的部门进行销售,但彭明盛重新整合IBM的销售团队,将负责硬件、软件、咨询甚至研究的各类员工“交叉销售”。IBM传统的销售模式是,一个销售经理和一个服务人员配合。而在新的方向下,每个销售团队都最少拥有4个人:一个销售人员,一个服务人员,一个软件人员,一个研究人员。这在IBM内被称为“四合一”。

  2004年1月,IBM获得了宝洁公司部分人力资源业务的10年外包,作价4亿元。至今宝洁已经将3500个工作外包出去,包括电脑和客户关系管理。在人力资源方面,它设立了21个关于速度和精确性的绩效考核标准,IBM全部达标,而在IBM接手之前一个月,根据市场调研公司Gartner统计,宝洁自己仅做到了其中的9项。

  重返黄金岁月

  2003年1月28日,在当年的第一次董事会上,彭明盛提出了一个令所有人错愕的方案:将自己的红利减半,削减部分奖励所率领团队技效最佳的20名公司高层。据称仅此一数字就达到300至500万美元。

  相对于其前任——从不拒绝享受丰厚红利的郭士纳——彭明盛的举动更加强调了团队的价值。这还只是他打下属于个人标签的行动之一,一个更为果敢的行为是,2003年初,他把IBM沿用长达92年的执行管理委员会关闭。这一每月召开一次的12人的圆桌会议,不仅常年决定着IBM的战略走向,更是IBM内的最高身份的表征。但在彭明盛看来,这一古老的传统的最大弊端在于:它的决策速度过慢,而且,全部由公司内顶级角色组成,也局限了它对市场一线的了解。

  在此一年前,他就找到了一个更好的上通下达,实现决策的组织方式。通过设立关于战略、执行与技术三个小组,并且将每个部门最优秀,而不仅是最高层的员工招至其中,他能够更好的了解市场与公司的状况。

  这一系列变化,即使在外界观察人士看来,也算的上极为大胆。但作为为IBM效力30余年的员工,彭明盛清楚,真正将IBM引入黄金时代的方式,只有根据时代变化制定新的游戏规则。曾经担任前CEO约翰·阿克尔斯(John F.Akers)助理的经历让彭明盛体验过最直接的教训:因为害怕人们说“你这么做违反了IBM的经营原则”,阿克尔斯无视时代的改变,一切遵循沃森父子的经验,这导致了IBM自我局限。

  沃森父子时代,IBM的核心价值观是“尊重个人、追求卓越、服务顾客”。“尊重个人”是指IBM最重要的资产是员工。管理人员对公司里任何员工都必须尊重,同时也希望员工尊重顾客,即使对竞争对象也要充分尊重;“追求卓越”是指IBM是一个具有高度竞争环境的公司。在公司里,每个人都要力争上游;“服务顾客”则强调“客户至上”,也就是IBM的任何一举一动都以顾客需要为前提。

  但当老沃森的一些方式被长期沿用,它就很可能不合时宜:如老沃森坚信终身雇佣制能让员工对企业忠诚,但当IT业产生巨大变革,IBM冗余的人员意味着巨大的成本,和转型的阻力。而小沃森时代的巨大成功导致的连续多年的反垄断官司让IBM丧失了竞争心态。

  针对于此,郭士纳虽然没有改变老沃森留下的价值观,但他每年对员工的考核标准里最看重的三条是在市场取得的胜利、执行、团队合作的精神。

  虽然在郭士纳的努力下,IBM恢复了生机,但它还算不上一家伟大的企业。这正是彭明盛的使命。上任后,他让公司的特别行动小组搜集了300位高管的意见,并与1000多名员工进行了专题座谈,以公司老的价值观为基础,提议了三条新价值观,然后将这些价值观交给所有员工进行讨论。最终确立了“成就客户、创新为要、诚信负责”为IBM公司新的价值观。不难发现,除了进一步客户导向及创新精神,彭明盛也意识到,在全球化、虚拟化的工作环境下,无论IBM内部合作还是对外经营,一个基础都是信任和责任感。

  彭明盛时刻

  所有人都喜欢将郭士纳和彭明盛进行比较:他们实在太不一样。

  与不苟言笑、强硬且富进攻性的郭士纳相比,彭明盛更加亲切和善。当2004年初IBM公司负责随需应变业务的全球副总裁John Lutz来华,记者问及两任CEO的异同,曾任郭士纳助理的Lutz表示:“郭士纳是个了不起的人,而我爱彭明盛。”

  尽管表面看来,彭明盛与郭士纳大为不同,但骨子里两个人拥有同样的信念:客户为尊。虽然在IBM工作多年,但他从未沾染IBM早年形成的“大企业病”,他不愿浪费自己的时间在无聊的琐事上,甚至当会议冗长无聊时,他会把手中的铅笔撅断,或者径直走出会议室,去给客户打电话。

  电话是彭明盛使用最多的工具,如果不是在给客户打电话,他就是在询问员工:“这一季度业绩如何?”“问题解决的如何了?”“交易完成了吗?”……因为这种习惯,IBM员工用IBM的一种即时通讯软件Lotus Sametime给彭明盛起了外号:“山姆时刻”(Samtime)。在IBM内,彭明盛还被称为“执行狂”或“执行巫师”。

  而其精明同样令人印象深刻。谈到彭明盛时,周伟焜表示:“彭明盛开始是在IBM美国的一个分公司做销售代表,做销售他完全专家。在销售的环境里面,你要骗彭明盛,你绝对赢不了,三分钟他就知道你有没有吹牛了。”

  最重要的是,虽然永远以微笑示人,但骨子里,彭明盛和郭士纳一样强硬、富有竞争性。在大学时,彭明盛曾是橄榄球队队长,据当时的同学回忆,虽然性格和善,但如果在赛场上他不能放倒对手,他会闷闷不乐。

  1972年,彭明盛从约翰?霍普金斯大学毕业后就进入了IBM,他从销售做起,随后在IBM日本、IT服务、PC事业部和大型机部门都有过经验。担任郭士纳的前任约翰?阿克尔斯执行助理时,他被后者称为“最优秀的助理”。

  1994年,经历了21年的IBM历练,彭明盛去到了IBM的外包业务子公司ISSC(集成系统解决方案公司)。在彭明盛去往ICCS之前,他已经在IBM内部拥有了挑战高层、尝试新方法并实现业绩的声誉。

  在1980年代末期,包括柯达在内的一些大客户向IBM提出了更高的要求:他们不仅希望IBM能够向其销售大型机和PC,还希望由IBM帮他们管理整个IT系统。IBM及时意识到了这是一块市场,这就是ISSC的诞生。虽然能够维持惨淡经营,但其下属的咨询和系统继承业务则在此前一年亏损数千万。

  彭明盛让他的署下将此业务扭亏。而当他的副手古登?迈尔斯(Gordon Myers)用数月时间对此业务深入研究,他带来了一个坏消息:盈利是不可能的,即使最好的预期,也仅是维持打平。听过汇报后,彭明盛先是如往常一般露出微笑,随后说:“古登,我们设立好了今年盈利的目标,你就必须找出兑现的办法。我不愿接受你做不到的事实。”

  这是一个经典的彭明盛式管理:一个严酷纪律和彻底乐观的混合体。而最终的结果也是彭明盛式的:古登要求雇员们提交改善建议,并要求ISSC的各个部门队此业务提供支持,进行交叉销售。到年底时,这一业务果然实现盈利。

  在ISSC时期,为了同时扩张业务和维持此一部门的独立性,彭明盛充分展示了其人强硬的一面。从绩效考核到利润率设定,他一直向高层宣告,此业务与其他的太过不同,不应同类而语。“如果ISSC遵从了IBM的那些适用于大型机业务的规定和流程,它永远不会成功”,一个ISSC的老员工表示。而一旦遇到客户需要,“山姆会跳上任何飞机,早上、中午或夜里,去见客户。”

  彭明盛的努力取得的回报是:郭士纳对此业务越发认同,并将其视为拯救IBM的关键,ISSC也变成了IBM全球服务(IBM Global Services)。

  但矛盾也逐渐显现:其他业务的员工原本热切期待服务业务能实现其原有业务的销售提升,但全球服务部门经常使用IBM的竞争对手的产品以显示其为客户服务的中立客观,很快就导致了IBM其他部门强烈的抵触情绪。而全球服务部门员工的日渐高傲,则让其他员工更加难以认同。

  彭明盛参与了郭士纳主导的维持和平的过程。IBM重新安排经理层的薪水,让他们的收入与公司整体表现挂钩。同时,彭明盛重整PC生产流程,强迫员工更多的倾听拥护。他也重新为IBM的服务器打造了品牌,增强其差异化,并力推UNIX为操作系统的服务器。这些行动应属“三赢”:无论对于客户、IBM和员工,都是好的。

  新挑战

  2004年4月15日,IBM发布了2005年第一季度财报,与同期发行的苹果、通用电气等公司取得不俗成就不同,IBM在第一季度的增长仅为3.3%,如果除去美元贬值的正面影响,其实际增长仅为1%。这一成绩当即令其股价下跌3.6%,关于IBM近期将展开大规模重组的消息亦随之出现。这是否意味着,彭明盛错了?

  即使最乐观的观察人士也许承认,彭明盛所做的,是一场巨大的冒险。对于任何一家公司而言,将自己的全部非核心部门外包出去都是危险的,特别是由一家可能同时负责其竞争对手相同业务的企业管理自己的财务、IT、客户服务。IBM需要用足够长的时间告诉外界,这并非不可行。

  同样的故事在IBM并非没发生过。1929年末,当美国经济突然瘫痪,许多公司开始裁员。但老沃森始终坚持研发投资,并不解雇任何员工。在他看来,市场需求终会回归,并比以往任何时候需求更多,因此,IBM需要做好准备。

  5年时间内,沉浸于大萧条的美国经济并未显现出沃森预期中的强势回暖,而这甚至险些导致沃森被公司董事会撤职,甚至IBM的破产。但当1935年8月美国总统罗斯福签署《社会保障法案》,这一行为直接导致了美国对信息处理需求的迅速放大,技术上远远领先于对手的IBM赢得了赌博。

  现在,彭明盛需要一次同样的机会。但他还有另外一个同样艰难的挑战:如何平衡创新与效率。

  时至今日,IBM还在坚持着传统的一切以自我研发为核心的方式。但自20世纪末期以来,这种一切研发亲历亲为的时代已经逐渐过去,越来越多的研究发现,大公司保持创新极难。正因此,多数公司开始将研发任务转移,比如宝洁有30%的创新来自外部,英特尔通过每年投资数百万美元进行风险投资寻找新的思路与技术。

  而且,因为目前这个过于宏大的目标,IBM的业务线被拉的很长。比尔?盖茨就评论说:“如果你将研究与产品捆的太紧,你就可能面临对研发的‘过度管理’的风险,因此将潜在的创新扼杀。”

  无论如何,对于53岁的彭明盛而言,他还不乏改变公司的时间。即使有一天他如愿以偿——让IBM恢复伟大——他也不会忘记:“我们记得IBM曾被视为全世界最伟大的公司的光景,然后我们就衰落了。”他不会让历史重演。

中国出稼ぎ計画-完結編 (2005/1/10)

http://www.manachan.150m.com/j_sydney_work118.htm
シドニー日記・職業生活編第118回

中国出稼ぎ計画-完結編 (2005/1/10)



1.年俸交渉大成功!

 2005年1月5日、ついに転職先・ISSC中国との年俸交渉がはじまりました。これは私にとって、生まれて初めての年俸吊り上げ交渉、しかも相手は馴染みのない中国の企業、ということでさすがに緊張しました。

 交渉で勝つためには、まずは相手をよく知ることが先決・・・ということで、年俸交渉に先立ち、できる限りの情報収集はやったつもりです。まず年末から年始にかけて、ISSC中国の人事担当者を質問責めにしました。この間、質問した項目数は全部で38!提示された年俸の各項目(月給、ボーナス、各種手当等)、有給・傷病休暇、福利厚生、中国の税制等について、完全に納得するまで質問を続けました。それだけでなく、所得税や税額控除の試算までやってもらいました(ちょっと図々しい?)。

 また、大連人脈を使った非公式な情報収集も行いました。たまたま、大連オフィスで働く中国人スタッフがシドニーオフィスに研修に来ていたので、彼とアポをとって、ここ数年の大連での給料上昇率や、交渉テクニック(誰と話をつけたらいいか等々・・・)について聞いてきました。それだけでなく、大連現地で働くロバート(「中国出稼ぎ計画第1回」参照)とも連絡を取り、アドバイスを乞いました。

 次に、私が知り得た情報に基づいて、向こう3年間の額面および手取り所得の試算を行いました。すなわち、このままシドニーに留まって同じ仕事を続けるのと、いま大連に転職するのと、どちらが多くの所得(豪ドル換算)を手にすることができそうか?・・・その結果は、次の通りでした。

額面ベースの所得:26.39%のマイナス
手取りベースの所得:2.18%のマイナス
 計算すると、当初の予想よりも「悪くない」数字が出ました。額面はともかく、手取りで計算するとシドニーでの給料とわずか2%しか違わない!大連での生活費の安さを考えれば、もし夫婦ともども大連に引っ越せば生活レベルが大幅にアップすることは間違いありません。それでも私は、「手取りベースの所得が今よりアップすることが転職の条件」というこだわりを捨てたくありませんでした。

 というのも、私が今回大連に転職しても、妻は当面、シドニーで暮らすことになるからです。確かに、いま大連の物価は非常に安く、海の見える2部屋マンションの賃料が月2万円ちょっと(シドニーでは10~20万円!)、バスの初乗り運賃は15円(シドニーだと120円)・・・ということを考えると、私の大連滞在中の生活費は大幅に節約できるでしょうが、それでも、妻はシドニーの物価で暮らすわけだし、加えてシドニーでの住宅ローンも払っていかなくてはならない。さらに、仮に妻が妊娠して産休をとったらその間は収入が途絶えるため、なおさら、私だけの収入で彼女がシドニーで快適に過ごせるようにしなければならない。要は今の生活水準を下げることがあってはならない・・・

 考え抜いた末、私は、年俸の要求額を先方が提示してきた額の約10%増にすることを決めました。もし1年目の年俸が10%増になれば、仮に2年目、3年目の年俸増がゼロでも、3年間の所得通算額を約3%増やすことができる。現時点での手取りベース試算が2%のマイナスだから、それに3%のプラスが加われば、全体で約1%のプラスになる・・・これ以上欲張っても相手が困ってしまうだろうから、この辺で手を打とうと考えたのです。

 1月5日の深夜、私はISSC中国の大ボス(最高レベルのマネジャーで、私の給料決定権を握っている人物)に宛てて、次のような趣旨のメールを書きました。

 ~大晦日の日、ISSCより年俸のオファーを頂きました。その額は、私の希望額より多少低かったけれども、ISSCが私のスキル・経験を高く評価していることを知り、感銘を受けました。とはいえこのオファーでは、シドニーから大連への「大移動」を決意させるには至らないのです。私が希望する年俸は「***,***人民元」(※オファーの約10%増)。もしこのレベルの額が提示されたならば、私は今すぐにでも大連行きを決断します。またこの年俸は、IT業界での私の市場価値を正しく反映するものと考えます~

 翌1月6日の夜、ISSCの人事担当者から早速回答が返ってきました。私は緊張の面持ちで、おそるおそるメールを開けました。そこには、次の趣旨のことが書かれていました。

 ~いま、「大ボス」は出張中ですが、緊急に電話会議を開き、鈴木さんの処遇について話してきました。当社は、是非とも鈴木さんの参画を必要としています。そこで異例の措置として、契約金を倍額にすることを決めました。その結果、当社が提示する年俸は、「***,***人民元」(※オファーの約9%増)になりました。但し、契約金倍額は異例の措置のため、特別な承認プロセスが必要になり、正式な承認が下りるのは来週前半になる予定です。

 ~その他、当社では鈴木さんにBand7(Advisory IT specialist)のポジションを用意しましたが、もし鈴木さんが期待以上の成果を上げたならば、次年度以降、Band8(Senior IT specialist)への昇進会議にかけることを約束いたします。よろしくご検討のうえ、明日までにご回答ください。~

 「大成功!」・・・思わず笑みがこぼれました。そして次の瞬間、私は中国行きを決断しました。実際、このメールを読んで、私は涙が出そうになるほど、心を打たれました。人生意気に感じてしまいました。私の心を動かしたのは、お金ではなく、先方の誠意と熱意だったのです。

 20分ほど、じーんと感動に浸ったあと、私は向こう3年間の所得試算を行いました。その結果は、


額面ベースの所得:24.17%のマイナス
手取りベースの所得:0.40%のプラス♪
 これでついに、手取り所得が今よりプラスになるという条件も満たされたのです!中国で働いて、シドニーでの生活水準も落とさないで済む。妻が妊娠しても、私一人の収入でなんとかできる。そして三度のメシより好きな不動産投資も、これまで通り続けることができる・・・

 加えて、この転職が私にとって明らかにキャリアアップにつながることもハッキリしました。IBMにおける私の今の職位はBand6(IT Specialist)。私はこのレベルで4年もやってきたので、そろそろBand7に昇進したいと考え、折を見つけて直属のマネジャーに相談したり、社内転職にもトライしてきたのですが、残念ながら今のシドニーではなかなか良いBand7の職がない上に、今の部署があまりにも人手不足でなかなか辞めさせてもらえないために、今年度の昇進も覚束なくなりそうな状況です。ところが大連に移れば、最初からBand7の仕事をやらせてもらえるばかりか、成果次第ではBand8への昇進の道も開けるという・・・シドニーに居たままBand8への昇進なんて、今後何年かかることか(下手したら十数年!)?そう考えると、大連への転職は、キャリア的にも「特急券」と言って差し支えないのです。

2.年収400万の諸葛孔明

 私は今回の転職活動で、「三国志」の故事、「三顧の礼」(さんこのれい)を思い出しました。「三国志演義」を読んだ方なら誰でもご存知だと思いますが、紀元3世紀の中国、天下争乱の時代に、当時弱小国であった蜀の君主・劉備玄徳が、「天下一の知略の持ち主」の呼び声高い諸葛孔明を軍師に迎えようとして、遠くにある孔明の蘆(いおり)まで、雪の山道を踏み越えて訪問したり、わずかの時間の差で会えなかったりという、2度の留守にもめげず、3度目の訪問でついに孔明と会い、彼を招聘し軍師とするに至る、という故事です。劉備は孔明を軍師に迎えて以来、多くの勝利を納め、その結果、蜀は魏、呉とともに天下を三分する大国になったのです。

 今回、ISSC中国が私を迎え入れるにあたって見せた誠意も、まさに「三顧の礼」を彷彿とさせるものでした。発足してまだ2年余の若い中国企業・ISSCの各担当者は、私をシドニーから獲得するために、最大限の努力を尽くしました。ところが、今の中国は経済急成長中とはいえ、まだまだITエンジニアに先進国並みの給料を払うことは難しい状況。三国志の故事でいえば、当時弱小国であった蜀の劉備が、諸葛孔明に白羽の矢を立て、是非我が国の軍師になって欲しいと説得するようなものでしょう。孔明としては、もし高給が欲しければ、当時の強大国であった魏(米国)や呉(日本)に行けばいい話です。

 自らの弱点を知り尽くした蜀(ISSC)は、それでも孔明(海外の人材)を獲得すべく、数々の秘策を練ります。その一つが、先進国では考えられないほどの、外国人に対する手厚い税制優遇措置です。例えば、ISSCおよび大連市税務当局のポリシーとして、大連で働く外国人エンジニアに対しては母国へ帰る航空券4往復分、加えて大連でのマンション賃料を所得税から全額控除しますという提案を行っています。これによって、私が大連で働いた場合の実質税率はわずか7~10%となり(オーストラリアではなんと30~33%!)、その分だけ手取りが増えることになります。「確かに、額面ベースの給料はあまり出せませんけど、でも手取りベースで比べてください!」というのが、中国側の宣伝文句なわけです。

 加えてISSCは、外国人に対しては人民元ではなく米ドルで給料を払うという選択肢まで用意しています。人民元はまだハードカレンシー(米ドルや日本円など、海外の通貨に自由に両替できる通貨)ではありませんから、外国人としては人民元で給料をもらっても母国に持ち帰れば紙クズになってしまうことが危惧されるわけですが、米ドルでもらえばその点は安心なわけです。加えて大連の銀行では、米ドル、日本円、人民元の3つの通貨で預金することも可能なようです。大連では外国人が働きやすいように、企業と行政、金融機関が密接に協力していることがよく分かります。

 しかしそれ以上に私の心を打ったのが、私の獲得にあたってISSCの各担当者がみせた熱意と素晴らしいチームワークでした。とにかくスゴいんです。どんな厄介な質問を送っても、たとえ担当者が休暇中であっても、4時間以内に必ず回答が返ってくるんです!しかも懇切丁寧なこと、この上ない。行間を読むと、「鈴木さん、ぜひ中国に来て、当社で働いてください!」という、オーラのようなものさえ漂ってきました。結果的には、これが私をして、中国行きを決断させたといえます。

 ところで、私が中国でもらう年俸ですが、日本円にしたら、大したことありません。というか、どの外国で働いても、給料を円換算したら少なく見えてしまうわけですが、今回の私の場合、年俸交渉は「400万円」をはさんだ攻防になりました。もう少し詳しくいうと、最初に提示された年俸(契約金、ボーナスをすべて含む)は額面で300万円台の後半で、私はそれを400万円台前半に吊り上げるべく、交渉を行い、成功したわけです。

 年収400万円といえば、私が東京でのサラリーマン生活3年目でもらった額とほぼ同じです。私の年収は、それ以来大きく上昇し、東京での最後の年に600万円を超えましたが、それからシドニーに移って現地で就職したので400万円に下がり、それから為替レートの関係もあって、4年かけて500万円余まで上昇し、今回の中国への転職で400万円に再び下がる・・・という感じで推移してきました。社会人12年目の今、3年目と同じ給料(円換算ベース)しかもらっていないのですから、我ながら「俺って一体何やってんだろ?」という気にもなります。

 ですが、今年もらうであろう400万円余の年俸には、非常に大きな意味が込められています。中国側が「三顧の礼」を尽くして、精一杯の誠意をみせた結果がこの数字なのですから、私はそこに、先方の大きな期待をひしひしと感じています。私は是非とも、「大連でもらう400万円」にふさわしい成果をあげたい。ISSCのビジネスを成功させるための力になりたい。私をあの諸葛孔明になぞらえるのは、少々おこがましいのかもしれませんが・・・それでも思うのです、「俺は400万もらって、諸葛孔明にでも何でもなってやる!」。 


3.新しい働き方:「外国人知識労働者」

 ところで話は変わりますが、ここオーストラリアでフルタイムで雇用されている日本人は大きく分けて、「駐在員」と「ローカルスタッフ」に分類されます。ここで駐在員とは、「日本で雇用されて社命でオーストラリアに来て働く人々」のことを、ローカルスタッフとは、「個人としてオーストラリアに移住してきて、現地で就職して働く人々」のことを指します。私自身、この国ではずっとローカルスタッフやってきました。シドニーに移住して、オーストラリア人と同じ求人広告を見て、彼らと同じ条件で履歴書を書き面接を受け、彼らと同じ条件で働いてきたのですから、ローカルスタッフ以外の何者でもありません。

 ところで、私が今回中国に行って働く際、現地では「駐在員」と「ローカルスタッフ」のどちらになるのか?というと、そのいずれでもないという気がします。もちろん、駐在員ではありません。社命で中国に派遣されるわけではありませんから・・・それではローカルスタッフなのかというと、そうでもない。現地の中国人と同じ条件で雇われるわけではなく、あくまで「外国人」としての特権的な身分で雇用されるからです。

 以前、某英文経済雑誌で読んだ話ですが、現在中国は、外貨準備高で日本と世界1、2位を争うほどの金満大国になり、それに伴って中国企業の間で、有り余る外貨を使って、外国人のマネジャーやエンジニアをヘッドハンティングする動きが目立ってきていると・・・

 私の場合も、大きく言えば「中国企業にヘッドハンティングされた外国人知識労働者」に分類されるのでしょう。駐在員でもローカルスタッフでもない、「第三の働き方」がここにあります。ある意味、中国が経済大国として台頭しつつある、いまの時代を象徴する存在なのだと思います。

 我々「外国人知識労働者」の給料は、おそらく、駐在員とローカルスタッフの中間に位置すると思われます。ローカルスタッフよりはずっと優遇されているけれども、それでも日本などから来た駐在員ほど良い給料をもらうわけではない。JETROが出している「大連に暮らす」という本によれば、ローカル(地元民)用のマンションが月1~2万円の賃料なのに対し、駐在員用のマンションは月10万円以上、一戸建てになると月60万円程度の賃料になるという!もちろん、駐在の方たちは自分の給料からこんな多額の家賃を捻出するわけではないでしょうが(会社が払ってくれているはず)、家賃補助のない私の場合、こんな「贅沢」は到底できません。ローカル用のマンションを借りて住むだけです。

 だから、(仕事や私生活はともかく)少なくともお金の面だけでいえば、駐在員はちょっと羨ましい。これは、シドニーでローカルスタッフとして働いていた時も感じていたことです。とはいえ、このITエンジニアの仕事を続ける限り、駐在員なんてたぶん一生なれないだろうな、という気もしています。

 ITビジネスは、基本的に世界のどこでも、ITインフラとエンジニアさえあればできてしまうものです。賃金水準の安い発展途上国でも、その気になれば商売できてしまう。だから恐いのです。先進国でITエンジニアをやっていれば、途上国と競争しなければならない。競争に負けないためには、より高度な技術を使い、緻密な開発プロセスを編み出し、新しいビジネスモデルを開拓するなど、いろいろやらなければならない。でもそれが難しい。ここオーストラリアでもいろいろ試みてはいるけれど、それが実を結んでいるとは言い難い。

 そんな仕事だから尚更、先進国の給料にさらに手当を上乗せしてもらって海外駐在するなんてシナリオが思い浮かばないのです。要は、「わざわざ高い給料を払って先進国の人間を使うより、安い途上国のエンジニアを教育して使おうぜ!」ということに必ずなるのです、この世界は・・・

 ITエンジニアをやりながら、時には海外で働いてみたい、でも給料をある程度以上もらって、快適な暮らしをしたい・・・そんなわがままな願いを持つ私が、いろいろ模索した結果、たどりついた一つの結論が、「中国での外国人知識労働者」だったのかもしれません。いま中国で働くには、ローカルスタッフ並みでは給料低すぎる、かといって仕事柄、駐在員にはなれそうもない。しかし運良く、中国経済の目覚しい発展があって、その結果「外国人知識労働者」という新しいカテゴリーが生まれ、私がいいタイミングでそれにあやかることができた・・・というのが、今回の「中国出稼ぎ計画」の結論なのかもしれません。

4.おわりに

 これは自分自身に対して戒めていることですが、転職が決まった!からといって油断は禁物です。どの会社、どの国であれ、新しい職場や仕事に慣れるまでの期間というのは、実にツライものです。特に、今回のように大きな期待を背負って迎え入れられる場合は、プレッシャーも相当なものになるでしょう。

 社会人になって、まる11年。私はこの間、3回転職しましたので、これで4社目の勤め先になります。しかも3ヶ国目の職場(日本、オーストラリア、中国)ですので、我ながら「よく動くもんだよなあ~」と感心してしまいます。

 あちこち動き回る暮らしには、もちろん苦労も多い。それでも、動くことこそが私の人生であり、私に最も相応しい生き方なのだと思っています。移り変わっていく景色の中で、いろんな人と出会い、別れ、その喜びも悲しみも辛さも全身で受け止めながら、常に前に進み続ける旅人でありたい。そして、新しい変化があるたびに、常にワクワクしていられる、素直な童心を持った大人でありたい。

 中国大陸の地で、これから新たな人生がはじまる・・・

在日本IBM的日子——ISSC中国员工在日随笔

在日本IBM的日子
——ISSC中国员工在日随笔

ISSC,即IBM Solutionsand Services(Shenzhen) Co. Ltd,是IBM中国有限公司的全资子公司。作为IBM全球服务部的战略性应用软件管理服务(AMS,Application Management Services)实施部门,ISSC集电子商务、应用软件管理服务经验和IT技术于一身,满足客户不断变化的业务需求。ISSC是继IBM印度全球服务业务取得成功之后,IBM所建立的又一个全球实施部门。它提供的应用软件管理服务包括应用软件设计、开发、维护和运作支持。ISSC于2002年刚刚成立,却继承了IBM长达4年的为海外公司提供应用软件开发的经验。

从2002年6月以来,已经有10名ISSC的员工被派遣到IBM日本的应用软件管理服务部(AMS)。让我们来分享一下他们在日本的工作和生活感受吧。


抵达日本

从国内ISSC公司派来的8名员工在6月5日抵达日本。该项海外短期服务计划是由IBM日本的应用软件管理服务部的企划部门发起的,是为了保持日本AMS部门与中国ISSC公司的长期合作关系、更好地开展软件外包业务而设立的。随着ISSC员工踏上日本的土地,本计划迈出了实施的第一步。

6月19日下午,项目入职典礼开始了。参与该项目的成员每人用5分钟左右的时间进行了自我介绍。在这样隆重而愉快的气氛里,大家用日文简单地介绍了自己的履历、兴趣、来日本的目的以及今后的展望。

当晚,IBM日本应用软件管理服务部的部长、课长,工作人员与ISSC的员工一起举办了热烈的欢迎会。大家一边喝着酒、聊着美食话题、互相交流着日中两国的趣闻。气氛非常融洽,3个小时不知不觉就过去了。


工作和学习
从刚到日本的兴奋,慢慢冷静下来,投入到紧张的工作中。ISSC的员工显然是受到了日本IBM员工工作方式的影响,不知不觉地延长了工作的时间,开始了加班。每天下班的时间都在8点以后,有些员工更是工作到12点仍未离开公司。经过几个月的努力,几乎全员都通过了日语教室的学习。经过每周两次的授课,其中7人达到日语能力1级水平。为了提高这些ISSC外派日本员工的IT技能,九月中旬又对他们进行了有关主机技术的培训。由于学员在软件编程水平上存在着差异,所有的ISSC员工从初级入门开始学起,在没有太多主机经验的前提下,他们通过不懈的努力,比预期的时间提前完成了课程。ISSC的员工深深感到,在日本的这段时间的工作与学习,让他们从语言到IT技术各方面有了质的飞跃。


初次的回国探亲
9月下旬,有两个三连休。参加该项海外服务计划的ISSC员工可以在这段时间回国探亲。小姜的感觉是时间总是不够。回回老家,走亲访友,路上花费了不少时间。小沈回国后大赞上海的物价便宜。特别是饮食方面,又便宜又好吃。小何的感想是乘出租车哪里都可以去,这在日本是绝对不可能的。小刘回到久别的上海,终于可以好好休息了。在成田机场说着上海话,也看到了上海人,有种亲切的感觉。回到上海,见到很多朋友,和大家一起去唱卡拉OK。小许在上海每天都吃钟爱的大闸蟹,额头上长出了很多豆豆。并且9月下旬刚好是中秋,和家人一起,吃月饼,看满月,非常开心。留在日本的伙伴们,那种每逢佳节倍思亲的感觉的确非常可怜啊,忍耐忍耐吧。

在上海的一个礼拜转瞬即逝。又要回日本了。离别总是痛苦的,为了将来,为了事业,ISSC的员工更坚定了自己的决心,好好珍惜这一年在日本的学习和生活机会。


在日生活
在工作之余,ISSC的员工还充分利用周末和节假日的时间,丰富自己的业余生活。一部分的ISSC员工定期到日本朋友的家中做客,进行访问,增进对日本风俗文化的了解。此时正值日本的盛夏,也是烟花的季节。大家结伴观赏了日本最有名的隅田川烟火大会。在那里竟看到2万齐发的巨大、美丽的烟火。

从去年开始,ISSC的员工参加了日本IBM应用软件管理服务部组织的几次小型旅行,平时的压力一扫而空。10月4日,白子,距离幕张事务所大约1个小时的车程。午后开始是高尔夫和迷你足球的分组比赛。因为都不太擅长高尔夫,ISSC的员工选择参加了迷你足球赛。由于ISSC足球队定期举行了多次比赛,队中的小姜更不愧为上海IBM足球队的代表,足球踢得非常好。经过激烈地角逐,ISSC足球队以5比4获胜。从小贾的笑脸上,ISSC的队员们体味到胜利的喜悦。

晚上,大家的肚子饿了。不过不用担心,在宾馆大大的停车场里准备了很多铁板烧的用具,下面就要开始BBQ大赛啦。中秋的野外,一边喝啤酒一边吃烤肉,感觉真是惬意。今晚谁的烤肉最美味呢?将根据裁判的品尝决定。比赛开始!大家立刻忙碌起来。有人做调味料,有人把肉、虾、玉米等各种材料放在铁板上,大家脸上都是一副认真的表情。终于做好了,裁判开始试食。“啊,真好吃!”“真酸啊!”“这是什么?焦了嘛,太硬啦!”在一片欢笑中,大家评出了当日的厨神,也找到了最后收拾拷具、打扫卫生的人。

在另一边的舞台上,智力测试正在进行,输的人要被用啤酒灌头,作为惩罚。玩到兴奋处,还有人被扔到海水里。大家都忘记了工作的压力,自由自在的尽情享受生活的乐趣。



结束语

ISSC一如既往地继承和发扬IBM尊重个人、追求卓越的优秀企业文化。在吸取了IBM的管理理念之余, 又结合了公司本身具体特点,迅速有效地在中国全面启动应用维护、战略外包以及其它各项服务业务,并为员工的成长和发展提供无限的空间。

IBM是全球软件和服务业的领导者,并将继续领导这个行业的发展。您还等什么?! 快加入我们的行列吧,和我们共同创造全球软件和服务业的新诗篇。

Sunday, September 25, 2005

基本解剖学用語の読み方

基本解剖学用語の読み方

目次(もくじ)

解剖学(かいぼうがく)器官(きかん)系統(けいとう)組織(そしき)分類(ぶんるい)

組織学(そしきがく)上皮組織(じょうひそしき)支持組織 (しじそしき)

筋組織(きんそしき)神経組織(しんけいそしき)

骨格系(こっかくけい)

構造(こうぞう)発生(はっせい)成長(せいちょう)骨(ほね)連結(れんけつ)関節(かんせつ)種類(しゅるい)脳頭蓋(のうとうがい)頭蓋冠(とうがいかん)頭蓋底(とうがいてい)顔面頭蓋(がんめんとうがい)鼻腔(びくう)副鼻腔(ふくびくう)脊柱(せきちゅう)椎骨(ついこつ)一般的(いっぱんてき)頚椎(けいつい)胸椎(きょうつい)

腰椎(ようつい)仙椎(せんつい)尾椎(びつい)

連結(れんけつ)

全体的(ぜんたいてき)胸郭(きょうかく)肋骨(ろっこつ)胸骨(きょうこつ)

上肢(じょうし)骨格(こっかく)上肢帯(じょうしたい)上腕(じょうわん)

前腕(ぜんわん)手(て)下肢(かし)下肢帯(かしたい)寛骨(かんこつ)骨盤(こつばん)大腿(だいたい)下腿(かたい)股関節(こかんせつ)膝関節(しつかんせつ)

筋系(きんけい)

構造(こうぞう)顔面筋(がんめんきん)目(め)閉じる(とじる)筋(きん)

眼輪筋(がんりんきん)口輪筋(こうりんきん)乳(ちち)吸う(すう)

頬筋(きょうきん)広頚筋(こうけいきん)下顎(かがく)動かす(うごかす)

咀嚼筋(そしゃくきん)咬筋(こうきん)側頭筋(そくとうきん)内および外側翼突筋(ないおよびがいそくよくとつきん)最大(さいだい)胸鎖乳突筋(きょうさにゅうとつきん)

舌骨(ぜっこつ)関係(かんけい)筋群(きんぐん)斜角筋(しゃかくきん)椎前筋(ついぜんきん)背なかの筋(せなかのきん)肩甲骨(けんこうこつ)動かす(うごかす)

僧帽筋(そうぼうきん)広背筋(こうはいきん)脊柱起立筋(せきちゅうきりつきん)

呼吸筋(こきゅうきん)肋間筋(ろっかんきん)横隔膜(おうかくまく)腹部(ふくぶ)

正中部(せいちゅうぶ)腹直筋(ふくちょくきん)側腹部(そくふくぶ)鼠径靭帯(そけいじんたい)鼠径管(そけいかん)上肢(じょうし)三角筋(さんかくきん)上腕二頭筋(じょうわんにとうきん)上腕三頭筋(じょうわんさんとうきん)前腕(ぜんわん)手(て)

下肢(かし)腸腰筋(ちょうようきん)殿筋(でんきん)大腿(だいたい)下腿(かたい)足(あし)

脈管系(みゃくかんけい)

血管系(けっかんけい)血管壁(けっかんへき)顕微鏡的構造(けんびきょうてきこうぞう)心臓(しんぞう)四つの部屋(よっつのへや)壁の構造(かべのこうぞう)

刺激伝導系(しげきでんどうけい)心臓の血管(しんぞうのけっかん)肺循環(はいじゅんかん)体循環(たいじゅんかん)動脈系(どうみゃくけい)総頚動脈(そうけいどうみゃく)内頚動脈 (ないけいどうみゃく)外頚動脈(がいけいどうみゃく)鎖骨下動脈(さこつかどうみゃく)上肢の動脈(じょうしのどうみゃく)胸大動脈(きょうだいどうみゃく)腹大動脈(ふくだいどうみゃく)枝(えだ)総腸骨動脈(そうちょうこつどうみゃく)骨盤(こつばん)下肢(かし)静脈系(じょうみゃくけい)上大静脈(じょうだいじょうみゃく)奇静脈(きじょうみゃく)系統(けいとう)下大静脈(かだいじょうみゃく)門脈(もんみゃく)門静脈(もんじょうみゃく)下肢(かし)骨盤(こつばん)

静脈(じょうみゃく)胎生時(たいせいじ)循環系(じゅんかんけい)分布(ぶんぷ)

胸管(きょうかん)その他(そのた)本幹(ほんかん)リンパ節(りんぱせつ)脾臓(ひぞう)顕微鏡的構造(けんびきょうてきこうぞう)胸腺(きょうせん)血液(けつえき)

血球(けっきゅう)造血組織(ぞうけつそしき)赤血球(せっけっきゅう)白血球(はっけっきゅう)血小板(けっしょうばん)血球(けっきゅう)造られる(つくられる)

消化器系 (しょうかきけい)

粘膜(ねんまく)何か(なにか)腺(せん)口腔(こうくう)歯(は)口蓋(こうがい)

舌(ぜつ)唾液腺(だえきせん)咽頭(いんとう)扁桃(へんとう)食道(しょくどう)胃(い)胃壁(いへき)小腸(しょうちょう)十二指腸(じょうにしちょう)空腸(くうちょう)回腸(かいちょう)大腸(だいちょう)肝臓(かんぞう)胆嚢(たんのう)

膵臓(すいぞう)

呼吸器系 (こきゅうきけい)

鼻腔(びくう)副鼻腔(ふくびくう)咽頭(いんとう)喉頭(こうとう)気管(きかん)

気管支(きかんし)肺(はい)

泌尿器系 (ひにょうきけい)

腎臓(じんぞう)尿管(にょうかん)膀胱(ぼうこう)尿道(にょうどう)

生殖器系 (せいしょくきけい)

男の生殖器(おとこのせいしょくき)

精巣(せいそう)精巣上体(せいそうじょうたい)精管(せいかん)精嚢(せいのう)

前立腺(せんりつせん)陰茎(いんけい)精液(せいえき)精子(せいし)

女の生殖器(おんなのせいしょくき)

卵巣(らんそう)卵管(らんかん)子宮(しきゅう)胎盤(たいばん)膣(ちつ)

外陰部(がいいんぶ)腹膜(ふくまく)

内分泌系 (ないぶんぴつけい)

下垂体(かすいたい)前葉(ぜんよう)後葉(こうよう)神経分泌(しんけいぶんぴつ)

松果体(しょうかたい)甲状腺(こうじょうせん)上皮小体(じょうひしょうたい)

副腎(ふくじん)膵臓(すいぞう)ランゲルハンス島(らんげるはんすとう)

神経系(しんけいけい)

構成(こうせい)

中枢神経系(ちゅうすうしんけいけい)

脊髄(せきずい)延髄(えんずい)橋(きょう)小脳(しょうのう)中脳(ちゅうのう)

間脳(かんのう)大脳(だいのう)脳の血管(のうのけっかん)脳室(のうしつ)

脳脊髄液 (のうせきずいえき)

末梢神経系(まっしょうしんけいけい)

脳神経(のうしんけい)

嗅神経(きゅうしんけい)視神経(ししんけい)動眼神経(どうがんしんけい)滑車神経(かっしゃしんけい)三叉神経(さんさしんけい)外転神経(がいてんしんけい)顔面神経(がんめんしんけい)内耳神経(ないじしんけい)舌咽神経(ぜついんしんけい)迷走神経(めいそうしんけい)副神経(ふくしんけい)舌下神経(ぜっかしんけい)

脊髄神経 (せきずいしんけい)

起部(きぶ)分布(ぶんぷ)走行(そうこう)重要な枝(じゅうようなえだ)自律神経(じりつしんけい)交感神経(こうかんしんけい)副交感神経(ふくこうかんしんけい)

伝導路(でんどうろ)

反射路(はんしゃろ)求心性伝導路(きゅうしんせいでんどうろ)体知覚路(たいちかくろ)視覚路(しかくろ)聴覚路(ちょうかくろ)平衡覚伝導路(へいこうかくでんどうろ)

味覚路(みかくろ)嗅覚路(きゅうかくろ)遠心性伝導路(えんしんせいでんどうろ)

錐体路(すいたいろ)錐体外路(すいたいがいろ)

感覚器系 (かんかくきけい)

視覚器(しかくき)眼球(がんきゅう)付属器(ふぞくき)

平衡聴覚器(へいこうちょうかくき)外耳(がいじ)中耳(ちゅうじ)内耳(ないじ)

皮膚(ひふ)表皮(ひょうひ)真皮(しんぴ)皮下組織(ひかそしき)角質器(かくしつき)毛(け)脂腺(しせん)汗腺(かんせん)乳腺(にゅうせん)乳房(にゅうぼう)

発生学(はっせいがく)

受精(じゅせい)着床(ちゃくしょう)発生(はっせい)第2週(だいにしゅう)第3週(だいさんしゅう)第4週(だいよんしゅう)第8週(だいはっしゅう)体節(たいせつ)

発展(はってん)泌尿生殖器系(ひにょうせいしょくきけい)鰓弓(さいきゅう)鰓嚢(さいのう)頭部(とうぶ)顔面(がんめん)腸管(ちょうかん)派生物(はせいぶつ)心臓(しんぞう)循環系(じゅんかんけい)胎生第3月(たいせいだいさんつき)出生(しゅっせい)外性器(がいせいき)皮膚(ひふ)胎児(たいじ)成長(せいちょう)出産(しゅっさん)

和文索引(わぶんさくいん)欧文索引(おうぶんさくいん)

第1ページより太字と図内説明の漢字の読み方

p1.

解剖学(かいぼうがく)何か(なにか)正常(せいじょう)形態(けいたい)構造(こうぞう)研究(けんきゅう)学問(がくもん)ヴェザリウス(う゛ぇざりうす)山脇東洋(やまわき とうよう)蔵志(ぞうし)

図1.

肖像(しょうぞう)

p2.

杉田 玄白(すぎたげんぱく)解体新書(かいたいしんしょ)肉眼解剖学(にくがんかいぼうがく)顕微鏡(けんびきょう)顕微解剖学(けんびかいぼうがく)組織学(そしきがく)発生学(はっせいがく)人類学(じんるいがく)

p3.

器官(きかん)系統(けいとう)私(わたくし)要素(ようそ)一定(いってい)形態(けいたい)機能(きのう)器官(きかん)部品(ぶひん)器官系(きかんけい)骨格系(こっかくけい)筋系(きんけい)消化器系(しょうかきけい)呼吸器系(こきゅうきけい)

泌尿器系 (ひにょうきけい)

p4.

生殖器系(せいしょくきけい)泌尿生殖器系(ひにょうせいしょくきけい)内分泌系(ないぶんぴつけい)脈管系(みゃっかんけい)循環系(じゅんかんけい)神経系(しんけいけい)感覚器系(かんかくきけい)

p5.

組織(そしき)分類(ぶんるい)組織学(そしきがく)器官(きかん)材質(ざいしつ)

組織(そしき)細胞(さいぼう)細胞間質(さいぼうかんしつ)

上皮組織(じょうひそしき)自由表面じゆうひょうめん)膜状(まくじょう)細胞層(さいぼうそう)一種(いっしゅ)分泌(ぶんぴつ)腺(せん)扁平上皮(へんぺいじょうひ)単層扁平上皮(たんそうへんぺいじょうひ)

図2.

結合組織(けつごうそしき)毛細血管(もうさいけっかん)

図2の中

杯細胞(さかずきさいぼう)粘液(ねんえき)分泌(ぶんぴつ)円柱(えんちゅう)

基底膜(きていまく)結合組織(けつごうそしき)線維(せんい)赤血球(せっけっきゅう)

図3.

単層扁平上皮(たんそうへんぺいじょうひ)重層扁平上皮(じゅうそうへんぺいじょうひ)

断面模型図(だんめんもけいず)

p.7

重層扁平上皮(じゅうそうへんぺいじょうひ)円柱上皮(えんちゅうじょうひ)吸収(きゅうしゅう)分泌(ぶんぴつ)線毛(せんもう)線毛上皮(せんもうじょうひ)

移行上皮(いこうじょうひ)

支持組織(しじそしき)細胞間質(さいぼうかんしつ)非常(ひじょう)豊富(ほうふ)

図4.

移行上皮(いこうじょうひ)収縮(しゅうしゅく)膀胱(ぼうこう)尿(にょう)

伸展(しんてん)

p.8

図5.

数個(すうこ)赤血球(せっけっきゅう)食べる(たべる)走査電子顕微鏡像(そうさでんしけんびきょうぞう)膜状(まくじょう)細胞質(さいぼうしつ)表面(ひょうめん)

糸状(いとじょう)粒状(りゅうじょう)無数(むすう)突起(とっき)注意(ちゅうい)

図6.

結合組織(けつごうそしき)細胞(さいぼう)形質細胞(けいしつさいぼう)好酸球(こうさんきゅう)好中球(こうちゅうきゅう)肥満細胞(ひまんさいぼう)樹状細胞(じゅじょうさいぼう)線維細胞(せんいさいぼう)線維芽細胞(せんいがさいぼう)脂肪細胞(しぼうさいぼう)

p.9

多量(たりょう)存在(そんざい)疎性結合組織(そせいけつごうそしき)

膠原線維(こうげんせんい)弾性線維(だんせいせんい)線維(芽)細胞(せんい(が)さいぼう)脂肪細胞(しぼうさいぼう)脂肪組織(しぼうそしき)リンパ球(りんぱきゅう)形質細胞(けいしつさいぼう)肥満細胞(ひまんさいぼう)大食細胞(たいしょくさいぼう)組織球(そしききゅう)樹状細胞(じゅうじょうさいぼう)定形結合組織(ていけいけつごうそしき)真皮(しんぴ)腱(けん)靭帯(じんたい)軟骨組織(なんこつそしき)軟骨(なんこつ)

p.10

ガラス軟骨(がらすなんこつ)弾性軟骨(だんせいなんこつ)線維軟骨(せんいなんこつ)

骨組織(こつそしき)骨(ほね)層板(そうばん)

図7.

3種(さんしゅ)顕微鏡像(けんびきょうぞう)細胞間質(さいぼうかんしつ)

軟骨質(なんこつしつ)軟骨細胞(なんこつさいぼう)線維細胞(せんいさいぼう)

膠原線維 (こうげんせんい)

p.11

骨の改築(ほねのかいちく)血液(けつえき)濃度(のうど)骨粗松症(とつそしょうしょう)筋組織(きんそしき)平滑筋(へいかつきん)横紋筋(おうもんきん)平滑筋組織(へいかつきんそしき)平滑筋線維(へいかつきんせんい)

p.12

筋原線維(きんげんせんい)骨格筋組織(こっかくきんそしき)

図9.

筋線維(きんせんい)縦断面(じゅうだんめん)横断面(おうだんめん)矢印(やじるし)

心筋細胞(しんきんさいぼう)境界(きょうかい)相当(そうとう)

介在板(かいざいばん)

p.13

心臓の筋(しんぞうのきん)心筋(しんきん)心筋細胞(しんきんさいぼう)

中央(ちゅうおう)核(かく)不随意筋(ふずいきん)随意筋(ずいいきん)

筋生検(きんせいけん)神経組織(しんけいそしき)

p.14

神経細胞(しんけいさいぼう)二ッスル物質(にっするぶっしつ)

神経線維(しんけいせんい)樹状突起(じゅじょうとっき)神経突起(しんけいとっき)

軸索突起(じくさくとっき)軸索(じくさく)

図10

樹状突起(じゅうじょうとっき)神経突起(しんけいとっき)

ランヴィエの絞輪(らんぶぃえのこうりん)髄鞘(ずいしょう)

p.15

ニューロン(にゅうろん)連鎖(れんさ)神経原説(しんけいげんせつ)

シナプス(しなぷす)小胞(しょうほう)神経伝達物質(しんけいでんたつぶっしつ)

図11.

形(かたち)連鎖(れんさ)右上(みぎうえ)微細構造(びさいこうぞう)

小胞(しょうほう)間隙(かんげき)

p.16

ニューロン間(にゅうろんかん)伝達(でんたつ)化学物質(かがくぶっしつ)

移動(いどう)介して(かいして)化学的伝達(かがくてきでんたつ)

アセチルコリン(あせちるこりん)アミン(あみん)ペプチド(ぺぷちど)

アミノ酸(あみのさん)軸索(じくさく)髄鞘(ずいしょう)

シュワン細胞(しゅわんさいぼう)希突起膠細胞(きっときこうさいぼう)

ランヴィエの絞輪(らんぶぃえのこうりん)

図12

グリア細胞(ぐりあさいぼう)星状膠細胞(せいじょうこうさいぼう)終末(しゅうまつ)

神経細胞(しんけいさいぼう)希突起膠細胞(きっときこうさいぼう)

小膠細胞(しょうこうさいぼう)髄鞘(ずいしょう)

希突起膠細胞(いとっきこうさいぼう)毛細血管(もうさいけっかん)

内皮細胞(ないひさいぼう)小膠細胞(しょうこうさいぼう)

星状膠細胞(せいしょうこうさいぼう)突起(とっき)

p.17

跳躍伝導(ちょうやくでんどう)有髄線維(ゆうずいせんい)無髄線維(むずいせんい)

神経伝導速度(しんけいでんどうそくど)神経膠(しんけいこう)グリア(ぐりあ)

図13.

有髄線維(ゆうずいせんい)無髄線維(むずいせんい)横断(おうだん)

坐骨神経(ざこつしんけい)透過電子顕微鏡写真(とうかでんしけんびきょうしゃしん)

髄鞘(ずいしょう)強拡大像(きょうかくだいぞう)シュワン細胞(しゅわんさいぼう)

細胞質(さいぼうしつ)髄鞘(ずいしょう)

p.18

神経膠細胞(しんけいこうさいぼう)星状膠細胞(せいじょうこうさいぼう)

小膠細胞(しょうこうさいぼう)希突起膠細胞(きとっきこうさいぼう)

シュワン細胞(しゅわんさいぼう)血液脳関門(けつえきのうかんもん)

p.19

骨格系(こっかくけい)

骨格(こっかく)骨(ほね)軟骨(なんこつ)靭帯(じんたい)支柱(しちゅう)

運動器(うんどうき)形(かたち)大きさ(おおきさ)決定(けってい)

重要(じゅうよう)要素(ようそ)骨髄(こつずい)骨格(こっかく)支柱(しちゅう)

同時(どうじ)造血器官(ぞうけつきかん)骨(ほね)長管骨(ちょうかんこつ)

扁平骨(へんぺいこつ)含気骨(がんきこつ)

p.20

図14.

全身(ぜんしん)骨格(こっかく)頭蓋(とうがい)胸骨(きょうこつ)

胸郭(きょうかく)脊柱(せきちゅう)寛骨(かんこつ)大腿骨(だいたいこつ)

膝蓋骨(しつがいこつ)脛骨(けいこつ)腓骨(ひこつ)足骨(そくこつ)尾骨(びこつ)

仙骨(せんこつ)手骨(しゅこつ)尺骨(しゃっこつ)とう骨(とうこつ)

上腕骨(じょうわんこつ)肩甲骨(けんこうこつ)鎖骨(さこつ)

図15.

側面(そくめん)頭蓋(とうがい)鎖骨(さこつ)胸骨(きょうこつ)胸郭(きょうかく)

肋骨(ろっこつ)脊柱(せきちゅう)寛骨(かんこつ)手骨(しゅこつ)

大腿骨(だいたいこつ)膝蓋骨(しつがいこつ)脛骨(けいこつ)腓骨(ひこつ)

足骨(そくこつ)踵骨(しょうこつ)尾骨(びこつ)仙骨(せんこつ)

とう骨(とうこつ)尺骨(しゃっこつ)上腕骨(じょうわんこつ)肩甲骨(けんこうこつ)

図16.

後面(こうめん)頭蓋(とうがい)胸郭(きょうかく)脊柱(せきちゅう)

骨盤(こつばん)手骨(しゅこつ)仙骨(せんこつ)足骨(そくこつ)腫骨(しょうこつ)

腓骨(ひこつ)脛骨(けいこつ)大腿骨(だいたいこつ)尾骨(びこつ)寛骨(かんこつ)

尺骨(しゃっこつ)とう骨(とうこつ)上腕骨(じょうわんこつ)肩甲骨(けんこうこつ)

鎖骨(さこつ)

p.22

骨端(こったん)骨端部(こったんぶ)骨幹(こっかん)骨幹部(こっかんぶ)

緻密質(ちみつしつ)海綿質(かいめんしつ)

図17.

骨(ほね)内部構造(ないぶこうぞう)大腿骨(だいたいこつ)

関節軟骨(かんせつなんこつ)骨端線(こったんせん)海綿質(かいめんしつ)

骨膜(こつまく)骨髄(こつずい)緻密質(ちみつしつ)骨膜(こつまく)

関節包(かんせつほう)

p.23.

骨の構造(ほねのこうぞう)骨組織(こつそしき)骨芽細胞(こつがさいぼう)骨細胞(こつさいぼう)破骨細胞(はこつさいぼう)骨髄(こつずい)造血器官(ぞうけつきかん)細網組織(さいもうそしき)造血幹細胞(ぞうけつかんさいぼう)赤色骨髄(せきしょくこつずい)黄色骨髄(おうしょくこつずい)骨髄穿刺(こつずいせんし)軟骨組織(なんこつそしき)関節軟骨(かんせつなんこつ)骨端軟骨(こったんなんこつ)骨膜(こつまく)線維(せんい)骨(ほね)太さ(ふとさ)成長(せいちょう)再生(さいせい)骨の発生(ほねのはっせい)成長(せいちょう)結合組織(けつごうそしき)膜(まく)

p.25

軟骨(なんこつ)骨組織(こつそしき)置きかえる(おきかえる)置換骨(ちかんこつ)

骨化(こっか)骨端軟骨(こったんなんこつ)骨の長さ(ほねのながさ)骨膜(こつまく)

成長(せいちょう)小人症(しょうじんしょう)巨人症(きょじんしょう)骨化(こっか)

時期(じき)

p.26

図19.

胎齢(たいれい)16週(じゅうろくしゅう)胎児(たいじ)骨格(こっかく)染色(せんしょく)標本(ひょうほん)石灰化(せっかいか)骨の部分(ほねのぶぶん)赤黒く(あかぐろく)胎児(たいじ)組織(そしき)冬緑油(とうろくゆ)透明(とうめい)

図20.

軟骨(なんこつ)ひな型(ひながた)カラー状(からーじょう)骨質(こつしつ)

血管(けっかん)原始的(げんしてき)海綿質(かいめんしつ)柱状(ちゅうじょう)

軟骨組織(なんこつそしき)関節軟骨(かんせつなんこつ)骨端(こったん)骨化中心(こっかちゅうしん)骨端軟骨(こったんなんこつ)骨随腔(こつずいくう)

p.27

骨の連結(ほねのれんけつ)関節(かんせつ)連結(れんけつ)軟骨(なんこつ)

靭帯(じんたい)結合組織(けつごうそしき)連結(れんけつ)

靭帯(じんたい)骨で結合(ほねでけつごう)

p.28

関節(かんせつ)関節頭(かんせつとう)関節か(かんせつか)関節面(かんせつめん)関節軟骨(かんせつなんこつ)

図22

5歳(ごさい)男児(だんじ)手の骨格(てのこっかく)X線像(えっくすせんぞう)個体(こたい)手根骨(しゅこんこつ)有頭骨(ゆうとうこつ)有鈎骨(ゆうこうこつ)骨化(こっか)とう骨(とうこつ)遠位端(えんいたん)骨端軟骨(こったんなんこつ)分離(ぶんり)骨頭(こっとう)矢印(やじるし)第1中手骨(だいいちちゅうしゅこつ)近位端(きんいたん)分離(ぶんり)骨頭(こっとう)

P.29

関節液(かんせつえき)滑液(かつえき)関節包(かんせつほう)関節腔(かんせつくう)滑膜(かつまく)

図23.

外観(がいかん)肩関節(かたかんせつ)後面(こうめん)靭帯(じんたい)

関節包(かんせつほう)

図24.

内部構造(ないぶこうぞう)断面(だんめん)模型図(もけいず)関節包(かんせつほう)靭帯(じんたい)関節腔(かんせつくう)関節軟骨(かんせつなんこつ)関節包(かんせつほう)骨膜(こつまく)関節内靭帯(かんせつないじんたい)関節半月(かんせつはんげす)関節腔(かんせつくう)関節円板(かんせつえんばん)

P.30

関節内靭帯(かんせつないじんたい)関節半月(かんせつはんげつ)関節円板(かんせつえんばん)種類(しゅるい)球関節(きゅうかんせつ)蝶番関節(ちょばんかんせつ)

図25.

関節の種類(かんせつのしゅるい)球関節(きゅうかんせつ)蝶番関節(ちょうばんかんせつ)車軸関節(しゃじくかんせつ)楕円関節(だえんかんせつ)鞍関節(くらかんせつ)

p.31

車軸関節(しゃじくかんせつ)楕円関節(だえんかんせつ)鞍関節(くらかんせつ)平面関節(へいめんかんせつ)一軸関節(いちじくかんせつ)二軸関節(にじくかんせつ)多軸関節(たじくかんせつ)頭蓋骨(とうがいこつ)頭蓋(とうがい)脳頭蓋(のうとうがい)顔面頭蓋(がんめんとうがい)下顎骨(かがくこつ)上顎骨(じょうがくこつ)梨状口(りじょうこう)

p.32

眼か(がんか)消化器(しょうかき)入口(いりぐち)呼吸器(こきゅうき)眼球(がんきゅう)聴覚器(ちょうかくき)感覚器(かんかくき)

図26.

顔面頭蓋(がんめんとうがい)青(あお)脳頭蓋(のうとうがい)赤(あか)脳(のう)

大脳(だいのう)小脳(しょうのう)橋(きょう)下垂体(かすいたい)

図27.

頭蓋(とうがい)右側面(うそくめん)

前頭骨(ぜんとうこつ)蝶形骨(ちょうけいこつ)涙骨(るいこつ)鼻骨(びこつ)

頬骨(きょうこつ)頬骨弓(きょうこつきゅう)上顎骨(じょうがっこつ)

歯槽突起(しそうとっき)下顎骨(かがくこつ)下顎角(かがくかく)

筋突起(きんとっき)関節突起(かんせつとっき)乳様突起(にゅうようとっき)

外耳孔(がいじこう)側頭骨(そくとうこつ)後頭骨(こうとうこつ)

頭頂骨(とうちょうこつ)

p.33.

脳頭蓋(のうとうがい)

頭蓋冠(とうがいかん)縫合(ほうごう)冠状縫合(かんじょうほうごう)矢状縫合(しじょうほうごう)ラムダ状縫合(らむだじょうほうごう)頭蓋冠(とうがいかん)

骨(ほね)発生(はっせい)

図28.

頭蓋冠(とうがいかん)上(うえ)

鼻骨(びこつ)冠状縫合(かんじょうほうごう)矢状縫合(しじょうほうごう)ラムダ縫合(らむだほうごう)後頭骨(こうとうこつ)頭頂骨(とうちょうこつ)

前頭骨(ぜんとうこつ)

p.51

図50

肩甲骨(けんこうこつ)

a.前面(ぜんめん)

上角(じょうかく)内側縁(ないそくえん)下角(かかく)外側縁(がいそくえん)外側角(がいそくかく)関節窩(かんせつか)烏口突起(うこうとっき)肩峰(けんぽう)肩甲棘(けんこうきょく)上縁(じょうえん)

b.後面

肩峰(けんぽう)外側角(がいそくかく)肩甲棘(けんこうきょく)棘下窩(きょく・か・か)外側縁(がいそくえん)下角(かかく)内側縁(ないそくえん)上角(じょうかく)棘上窩(きょくじょうか)上縁(じょうえん)肩甲切痕(けんこうせっこん)烏口突起(うこうとっき)

p.53

図52.

上腕骨(じょうわんこつ)

a.前面(ぜんめん)

上腕骨頭(じょうわんこっとう)解剖頚(かいぼうけい)上腕骨体(じょうわんこつ・たい)栄養孔(えいようこう)鈎突窩(こうとつか)内側上窩(ないそくじょうか)上腕骨滑車(じょうわんこつ・かっしゃ)上腕骨小頭(じょうわんこつ・しょうとう)外側上顆(がいそくじょうか)三角筋粗面(さんかくきんそめん)大結節稜(だいけっせつりょう)小結節陵(しょう・けっせつ・りょう)結節間溝(けっせつかんこう)大結節(だいけっせつ)小結節(しょうけっせつ)

b.後面

大結節(だいけっせつ)栄養孔(えいようこう)肘頭窩(ちゅうとうか)外側上顆(がいそくじょうか)上腕骨滑車(じょうわんこつ・かっしゃ)内側上顆(ないそくじょうか)上腕骨体(じょうわんこつたい)外科頚(げかけい)解剖頚(かいぼうけい)上腕骨頭(じょうわんこっとう)

p.53

図53

前腕骨(ぜんわんこつ)

a.前面

肘頭(ちゅうとう)滑車切痕(かっしゃせっこん)鈎状突起(こうじょうとっき)尺骨体(しゃっこつたい)尺骨頭(しゃっこつとう)茎状突起(けいじょうとっき)橈骨体(とうこつたい)橈骨粗面(とうこつそめん)橈骨頭(とうこつとう)

b.後面

滑車切痕(かっしゃせっこん)橈骨頭(とうこつとう)橈骨粗面(とうこつそめん)橈骨体(とうこつたい)茎状突起(けいじょうとっき)

p.55.

手(て)骨(ほね)

有鈎骨(ゆうこうこつ)月状骨(げつじょうこつ)三角骨(さんかくこつ)豆状骨(とうじょうこつ)手根骨(しゅこんこつ)中手骨(ちゅうしゅこつ)指節骨(しせつこつ)

基節骨(きせつこつ)中節骨(ちゅうせつこつ)末節骨(まっせつこつ)

種子骨(しゅしこつ)小菱形骨(しょうりょうけいこつ)大菱形骨(だいりょうけいこつ)有頭骨(ゆうとうこつ)舟状骨(せんじょうこつ)

p.56

図55.

子供(こども)寛骨(かんこつ)

恥骨(ちこつ)坐骨(ざこつ)腸骨(ちょうこつ)

p.57

図56.

a.外側面(がいそくめん)

上前腸骨棘(じょう・ぜん。ちょうこつ・きょく)下前腸骨棘(か・ぜん・ちょうこつ・きょく)寛骨臼(かんこつ・きゅう)恥骨(ちこつ)閉鎖孔(へいさこう)

坐骨結節(ざこつ・けっせつ)坐骨(ざこつ)小坐骨切痕(しょう・ざこつ・せっこん)

坐骨棘(ざこつきょく)大坐骨切痕(だい・ざこつ・せっこん)下後腸骨棘(か・こう・ちょうこつ・きょく)上後腸骨棘(じょう・こう・ちょうこつ・きょく)

腸骨稜(ちょうこつりょう)腸骨(ちょうこつ)

b.内側面

腸骨(ちょうこつ)耳状面(じじょうめん)上後腸骨棘(じょう・こう・ちょうこつ・きょく)下後腸骨棘(か・こう・ちょうこつ・きょく)大坐骨切痕(だい・ざこつ・せっこん)坐骨棘(ざこつきょく)小坐骨切痕(しょう・ざこつ・せっこん)坐骨(ざこつ)坐骨結節(ざこつけっせつ)閉鎖孔(へいさこう)恥骨結合面(ちこつけつごうめん)恥骨結節(ちこつけっせつ)恥骨(ちこつ)下前腸骨棘(か・ぜん・ちょうこつ・きょく)

上前腸骨棘(じょう・ぜん・ちょうこつ・きょく)腸骨窩(ちょうこつか)腸骨稜(ちょうこつりょう)

p.58

図57.

男女(だんじょ)骨盤(こつばん)

a.男(おとこ)前面(ぜんめん)

b.男(おとこ)上前面(じょう・ぜんめん)

c.女(おんな)前面(ぜんめん)

第5腰椎(だいご・ようつい)尾骨(びこつ)坐骨(ざこつ)恥骨(ちこつ)

腸骨(ちょうこつ)仙骨(せんこつ)

d.女(おんな)上前面(じょう・ぜんめん)

第5腰椎(だいごようつい)仙骨(せんこつ)腸骨(ちょうこつ)尾骨(びこつ)

恥骨(ちこつ)

p.59

図58.

骨盤(こつばん)正中断面(せいちゅう・だんめん)右側(うそく)重要(じゅうよう)

靭帯(じんたい)示す(しめす)

第5腰椎(だいごようつい)仙骨(せんこつ)大・小坐骨孔(だい・しょう・ざこつ・こう)尾骨(びこつ)坐骨(ざこつ)閉鎖膜(へいさ・まく)大部分(だいぶぶん)閉鎖孔(へいさ・こう)恥骨(ちこつ)真結合線(しんけつごうせん)分界線(ぶんかいせん)岬角(こうかく)前上腸骨稜(ぜん・じょう・ちょうこつ・りょう)腸骨(ちょうこつ)

p.60

図60.

大腿骨(だいたいこつ)

a.前面

大腿骨頭(だいたいこつとう)大腿骨頚(たいたいこつけい)小転子(しょうてんし)大腿骨体(だいたいこつたい)内側上顆(ないそくじょうか)内側顆(さいそくか)外側顆(がいそくか)外側上顆(がいそくじょか)大転子(だいてんし)

b.後面(こうめん)

大転子(だいてんし)粗線(そせん)外側上顆(がいそくじょうか)外側顆(がいそくか)顆間窩(かかんか)内側顆(ないそくか)内側上顆(ないそくじょうか)大腿骨体(だいたいこつたい)小転子(しょうてんし)大腿骨頚(だいたいこつけい)大腿骨頭(だいたいこつとう)

p.61

下腿(かたい)骨(ほね)

a.前面(ぜんめん)

内側顆(ないそくか)脛骨粗面(けいこつ・そめん)前縁(ぜんえん)脛骨体(けいこつたい)内果(ないか)外果(がいか)腓骨体(ひこつたい)腓骨頭(ひこつとう)外側顆(がいそくか)

b.後面(こうめん)

外側顆(がいそくか)腓骨頭(ひこつとう)腓骨体(ひこつたい)外果(がいか)

p.62

図62

足(あし)骨(ほね)

a.上(うえ)

踵骨(しょうこつ)距骨(きょこつ)舟状骨(せんじょうこつ)内側楔状骨(ないそく・けつじょう・こつ)中間楔状骨(ちゅうかん・けつじょう・こつ)外側楔状骨(がいそく・けつじょう・こつ)立方骨(りっぽうこつ)指骨(しこつ)中足骨(ちゅうそくこつ)足根骨(そくこんこつ)

図63.

股関節(こかんせつ)内部構造(ないぶこうぞう)前頭断面(ぜんとうだんめん)半模型図(はんもけいず)

寛骨臼(かんこつきゅう)大腿骨頭靭帯(だいたいこっとうじんたい)輪帯(りんたい)大転子(だいてんし)関節包(かんせつほう)大腿骨頭(だいたいこつとう)

図64.

股関節(こかんせつ)付近(ふきん)X線像(えっくすせんぞう)

55歳(ごじゅうごさい)男性(だんせい)

第5腰椎(だいごようつい)腸骨稜(ちょうこつりょう)寛骨臼(かんこつきゅう)股関節(こかんせつ)大腿骨頭(だいだいこつとう)閉鎖孔(へいさこう)恥骨結合(ちこつけつごう)大腿骨(だいたいこつ)寛骨(かんこつ)坐骨(ざこつ)恥骨(ちいこつ)腸骨(ちょうこつ)仙骨(せんこつ)

図65.

膝関節(しつかんせつ)内部構造(ないぶこうぞう)矢状断面(しじょうだんめん)半模型図(はんもけいず)十字靭帯(じゅうじじんたい)示す(しめす)

大腿骨(だいたいこつ)関節半月(かんせつはんげつ)関節包(かんせつほう)脛骨(けいこつ)滑液包(かつえきほう)膝蓋靭帯(しつがいじんたい)膝蓋骨(しつがいこつ)滑液包(かつえきほう)大腿四頭筋(だいたいしとうきん)腱(けん)

図66.

膝関節(しつかんせつ)矢状断MRI像(しじょうだん・えむ・あーる・あい・ぞう)

25歳(さい)男性(だんせい)

半膜様筋(はんまくようきん)腓腹筋(ひふくきん)内側頭(ないそくとう)

後十字靭帯(こう・じゅうじ・じんたい)脛骨(けいこつ)膝蓋靭帯(しつがいじんたい)前十字靭帯(ぜん・じゅうじ・じんたい)膝蓋骨(しつがいこつ)大腿骨(だいたいこつ)

大腿四頭筋腱(だいたい・しとうきん・けん)

図67.

左足(さそく)膝関節(しつかんせつ)斜め(ななめ)前外側方(ぜん・がいそく・ほう)

大腿骨(だいたいこつ)外側顆(がいそく・か)外側半月(がいそく・はんげつ)腓骨頭(ひこつとう)腓骨(ひこつ)膝蓋骨(しつがいこつ)脛骨(けいこつ)膝蓋靭帯

(しつがい・じんたい)脛骨粗面(けいこつ・そめん)内側半月(ないそくはんげつ)前十字靭帯(ぜんじゅうじじんたい)後十字靭帯(こう・じゅうじ・じんたい)

 

四肢の筋肉

p.88

図87.

上肢(じょうし)屈筋(くっきん)浅層(せんそう)

鎖骨(さこつ)大胸筋(だいきょうきん)前鋸筋(ぜんきょきん)上腕三頭筋(じょうわん・さんとうきん)長頭(ちょうとう)内側頭(ないそくとう)内側上腕筋間中隔(ないそく・じょうわん・きんかん・ちゅうかく)上腕骨(じょうわんこつ)内側上顆(ないそくじょうか)円回内筋(えんかいないきん)長掌筋(ちょうしょうきん)橈側手根屈筋(とうそく・しゅこん・くっきん)尺側手根屈筋(しゃくそく・しゅこん・くっきん)浅指屈筋(せん・し・くっきん)屈筋支帯(くっきん・したい)小指外転筋(しょうし・がいてんきん)短小指屈筋(たん・しょうし・くっきん)小指対立筋(しょうし・たいりつきん)浅指屈筋(せん・し・くっきん)虫様筋(ちゅうようきん)母指内転筋(ぼし・ないてんきん)短母指屈筋(たん・ぼし・くっきん)短母指外転筋(たん・ぼし・がいてんきん)長母指屈筋(ちょう・ぼし・くっきん)短橈側手根伸筋(たん・とうそく・しゅこん・しんきん)長橈側手根伸筋(ちょう・とうそく・しゅこん・しんきん)腕橈骨筋(わん・とうこつ・きん)上腕筋(じょうわんきん)上腕二頭筋(じょうわん・にとうきん)長頭(ちょうとう)短頭(たんとう)烏口腕筋(うこう・わんきん)三角筋(さんかくきん)僧帽筋(そうぼうきん)

図88.

上肢(じょうし)屈筋(くっきん)深層(しんそう)

鎖骨(さこつ)鎖骨下筋(さこつかきん)肩甲下筋(けんこうかきん)烏口腕筋(うこうわんきん)広背筋(こうはいきん)上腕三頭筋(じょうわん・さんとうきん)長頭(ちょうとう)上腕三頭筋(じょうわん・さんとうきん)内側頭(ないそくとう)内側上腕筋間中隔(ないそく・じょうわん・きんかん・ちゅうかく)内側上顆(ないそくじょうか)上腕骨(じょうわんこつ)深指屈筋(しん・し・くっきん)橈側手根屈筋(とうそく・しゅこん・くっきん)浅指屈筋(せん・し・くっきん)短母指伸筋(たん・ぼし・しんきん)長母指外転筋(ちょう・ぼし・がいてんきん)長母指屈筋(とう・ぼし・くっきん)円回内筋(えん・かいないきん)長橈側手根伸筋(ちょゆ・とうそく・しゅこん・しんきん)腕橈骨筋(わん・とうこつきん)上腕筋(じょうわんきん)大胸筋(だいきょうきん)三角筋(さんかくきん)上腕二頭筋(じょうわん・にとうきん)短頭(たんとう)長頭(ちょうとう)小胸筋(しょうきょうきん)烏口突起(うこうとっき)僧帽筋(そうぼうきん)

p.90

上腕二頭筋(じょうわん・にとうきん)力こぶ(ちから)

肩甲骨(けんこうこつ)上腕骨(じょうわんこつ)肘頭(ちゅうとう)尺骨(しゃっこつ)橈骨(とうこつ)橈骨粗面(とうこつそめん)筋腹(きんぷく)短頭(たんとう)

腱(けん)長頭(ちょうとう)腱(けん)肩峰(けんぽう)

p.91

上肢(じょうし)伸筋(しんきん)浅層(せんそう)

三角筋(さんかくきん)小円筋(しょうえんきん)上腕三頭筋(じょうわん・さんとうきん)長頭(ちょうとう)外側頭(がいそくとう)上腕二頭筋(じょうわん・にとうきん)腕橈骨筋(わんとうこつきん)長橈側手根伸筋(ちょう・とうそく・しゅこん・しんきん)短橈側手根伸筋(たん・とうそく・しゅこん・しんきん)指伸筋(し・しんきん)長母指外転筋(ちょう・ぼし・がいてんきん)短母指伸筋(たん・ぼし・しんきん)長母指伸筋(ちょう・ぼし・しんきん)背側骨間筋(はいそく・こっかんきん)小指外転筋(しょうし・がいてんきん)伸筋支帯(しんきん・したい)小指伸筋(しょうし・しんきん)尺側手根伸筋(しゃくそく・しゅこん・しんきん)尺側手根屈筋(しゃくそく・しゅこん・くっきん)肘筋(ちゅうきん)肘頭(ちゅうとう)広背筋(こうはいきん)大円筋(だいえんきん)棘下筋筋膜(きょっかきん・きんまく)肩甲棘(けんこうきょく)僧帽筋(そうぼうきん)

p.92

図91

上肢(じょうし)伸筋(しんきん)深層(しんそう)

僧帽筋(そうぼうきん)三角筋(さんかくきん)小円筋(しょうえんきん)外側腋窩隙(がいそくえきかげき)三角筋(さんかくきん)上腕三頭筋(じょう・わん・さんとうきん)外側頭(がいそくとう)長頭(ちょうとう)内側頭(ないそくとう)腕橈骨筋(わん・とうこつきん)

Friday, September 23, 2005

Web 2.0 重要名词解释

Web 2.0 重要名词解释

  Blog:Blog是个人或群体以时间顺序所作的一种记录,且不断更新。Blog之间的交流主要是通过反向引用(TrackBack )和留言/ 评论(Comment )的方式来进行的。Blog的作者(Blogger ),既是这个Blog的创作人,也是其档案管理人。

  TrackBack:是一种Blog应用工具,它可以让Blogger 知道有哪些人看到自己的文章后撰写了与之有关的内容。这种功能实现了网站之间的互相通告;因此它也可以看作一种提醒功能。

  RSS:是一种用于共享新闻和其他Web 内容的数据交换规范。读者可以通过RSS 订阅一个Blog,确知该Blog最近的更新。

  Wiki:1995年,沃德。坎宁安(Ward Cunningham )为了方便模式社群的交流创建了全世界第一个w i k i 系统——WikiWikiWeb (http://c2.com/cgi/wiki),并用它建立了波特兰模式知识库,在建立过程中,沃德。坎宁安创造了Wiki的概念和名称,并且实现了支持这些概念的服务系统。

  Social Bookmark:社会化书签,它可以让你把喜爱的网站随时加入自己的网络书签中;你可以用多个关键词(Tag )而不是分类来标示和整理你的书签,并与其他人共享。

  六度分隔理论:(Six Degrees of Separation )。1967年,哈佛大学的心理学教授Stanley Milgram (1933~1984)创立。简单地说:“你和任何一个陌生人之间所间隔的人不会超过六个,也就是说,最多通过六个人你就能够认识任何一个陌生人。”六度分隔理论的数学解释是:如果每个人平均认识260 人,其六度就是2606=1188137600000.消除一些节点重复,那也几乎覆盖了整个地球人口若干多倍。

  (名词解释的主要内容来自Wiki网络大百科全书)

关于Wiki(维基)

“Wiki Wiki”一词源于夏威夷语“wee keewee kee”,意思是“快点快点”。Wiki发明人WardCunningham一次看到机场巴士上写着“Wiki Wiki Bus”,大约是因为“快点快点”地催促暗合了这个系统迫切需要的参与精神,WardCunningham就用Wiki命名了以“知识库文档”为中心、以“共同创作”为手段,靠“众人不停地更新修改”这样一种借助互联网创建、积累、完善和分享知识的全新模式。

理想  知识库的意义不言而喻,它是人类传承文明的主要方式。传统知识库的建立方式是,组织一批拥有这方面知识的专家,在特定的时间内编纂完成,并定期更新版本。其典型代表是百科全书、字典以及各种教材。

  Wiki认为,用传统方式制作知识库,成本高,更新慢,所相信的所谓权威未必权威,Wiki利用互联网将“一批专家”拓展到了每一个网民,将间歇式的版本更新,变成了时时更新。Wiki相信知识藏于民间,相信“更多眼睛会发现更多错误”,相信“给予个人自由,个人一定能用好这个自由”。

  要实现Wiki理想的第一困难是,怎样调动广大网民无偿奉献自己知识的积极性?Wiki用开放、平等、自由、即时实现来回报广大网民的参与,Wiki中的任何一条记录,任何人在任何时候都可以现时修改。这种设计能最大限度降低网民参与编纂知识库的成本,但它会引发Wiki的第二个难题,即谁来控制质量?谁来管理?就像相信民主一样,Wiki相信参与编纂知识库的维基(Wiki)人在“议事程序”“政策”、“行动指南”等共同约定的守则下,完全能够管理好Wiki的质量和进程。

  Wiki手中的另外一个利器是时间。它能够用时间的积累来弥补业余参与无法按计划完成任务的不足。一个Wiki知识库计划一旦上线,只要服务器不停,它就可以7×24不浪费一分一秒地积累下去,并且越往后,速度越快。

  Wiki被迅速接受的另一个重要原因,就是随着知识更新加快,人们越来越需要使用更为快捷的手段来创建、积累、分享彼此的知识。

创建  1995年,WardCunningham用Perl完成第一款Wiki程序WikiWikiWeb,并通过OSS(Open Source Software开放源代码)方式免费共享。这之后,更多的程序员开发出了更多的开源Wiki系统,其中,Magnus Manske用PHP语言写的Wikipedia,因为在其上面运行的维基百科取得的巨大成功,而一跃成为当今最流行的Wiki系统。这个系统当然也是不用付费的开源软件。

  在 http://wikipedia.sourceforge.net/ 下载安装Wikipedia软件后,就可以创建运营一个Wiki知识社区了。和所有互联网项目一样,第一步当然也是创建首页。Wiki首页内容主要由本知识库的分类目录组成。

  由于Wiki用简单的格式标记取代了复杂格式标记的HTML,所以,毋需美工,任何人通过简单的学习都可以创建出一个标准的Wiki首页。对于第一次创建Wiki首页的人来说,最简单的办法是,复制其他Wiki的首页,保留其形式,替换上自己的内容就可以算完成了。

  由于Wiki首页的创建者无法确保自己创建的这个目录页是最合理、最科学、最全面的,所以,他必须将修改Wiki首页的权力赋予所有能看到这个首页的人。当然,所有被修改、被替代的首页,都会被保存在历史记录中,以便更正不恰当的修改。

  由此便引申出,谁来决定“好坏”的问题。Wiki始终相信“在这个修改的过程中,可能产生不恰当,但它最终会被修正。”“大家最终会将一个文档修改得更好,而不是更差。”因为“人们产生文档的意义在于这些文档能对大家有用,应该鼓励任何人对文档中的任何信息进行自由修改和整理,以对自己或他人更加有用,因此任何过时或者不再被人关心的内容都会被人从Wiki上拿掉,更不用说那些明显错误或者令人讨厌的东西了。”Wiki系统当然同时也有对付恶意修改的手段,比如封其IP,使他无法再来到本Wiki。

  接下来要做的就是,从分类目录往下一层一层地编纂。这是一个工作量极大的工作,正因为这是一个庞大而非少数人在短时间内能完成的任务,所以才需要使用Wiki这种“共同创作”的方式。始于2001年1月15日的维基百科英文版,经过3年多时间,已积累了超过30万个条目,是目前《大英百科全书》的三倍。按照这样的发展速度,维基百科所收入的条目在未来数月内将达到100万条,所用文字将多达50种,从阿拉伯语一直到盖尔语。2004年6月,维基百科网站的点击率为平均每天870万,超过了《大英百科全书》网站。




中性  2002年3月,用户ID24开始在英文维基百科发表许多“左倾”文章,他的激烈讨论最终导致了严重的人身攻击。维基百科于2002年4月禁止ID24对维基百科进行编辑(但仍允许继续浏览)。同年9月,维基百科还停止了用户“Helga”的编辑权限,因为他经常在德国历史的相关文章中发表亲“右翼”观点,并且导致多次争论。

  由于Wiki采用公众维护同一个知识库的方式,所以,它在编辑方针上就必须采用中性观点,否则,Wiki就会像BBS一样争论不休。争论、争吵、争执对BBS是求之不得的事情,但对Wiki却不是好事。

  中性观点是指,遇到争论时,尽量去“叙述”而不是去“采取某一特定的立场”。比如,不去断言“上帝存在”,还是“上帝不存在”,而是叙述“大多数美国人相信上帝存在”这个实事。

  另外,在叙述两种对立观点的时候,要都使用“正面的、同情的”语气,而非一个用赞同语气,另外一个仅仅用来当作被讥讽、被批判的靶子提及。

  客观也许难以做到,因为人是感性的,想要超然物外绝非易事,但中性容易做到。因为中性是技术的,和情感无关。只要能做到,使争论两方在阅读最后的文字时,认为他们的观点已经用最同情的语调,清楚、完整地陈述了出来,就算做到了中性。而要做到这些,只要执行可操作,可度量的流程就可以了,比如叙述对立观点时,都使用同情语气,篇幅大体相同,相关重要论据都齐全等。

  今天,无数优秀的学者、百科全书家、课本作者基本上都在使用中性观点写作。Wiki系统注意到了人们习惯争论的天性,在系统里提供了讨论功能,但这个讨论页仅仅是附着在知识库页,而非作为主页提供。




管理员  自2002年起,开始有人恶意破坏维基百科,这些破坏当然都被更多的人很快修复,但维基百科最终还是将自己的首页“保护”了起来,不再允许任意修改,而只允许管理员修改。这是维基百科对于开放的一次迫不得以的“向后”修正。Wiki系统其实能支持到每一级的“保护”,但从维基百科实践看,对二级页面的“保护”并没有必要。

  就像民主需要议会和议员一样,Wiki也离不开“活雷锋”一样的管理员。其实,搭建Wiki系统、创建Wiki首页的那个人就是本Wiki项目第一管理员。他接下来的任务是,一边撰写知识库条目,一边从自然参与者中挑选、发展、培养更多的管理员,由这些管理员再发展出更多的管理员。

  管理员的主要职责是,保护页面、删除页面、复原页面,查封与解封用户,除了这些管理的工作之外,管理员更要身先士卒地撰写条目,认真地编辑修改条目。一个Wiki项目的起始条目的编纂一般都是由管理员先完成,管理员的奉献构成了一个Wiki项目最初的人气,在这个基础之上,Wiki项目才能向下滚雪球似地发展。

  万事开头难,一个Wiki项目在开始的时候,一定没有几个条目,没条目,当然没人看;没人看,当然没人写;没人写,当然没条目,这是一个死循环。这个死循环要靠管理员初期艰苦的奉献打破。一旦进入正循环,管理员就可以从撰写条目的工作中解脱出来,从事更多的管理工作。

和BBS Blog不同  Wiki和BBS、Blog一样都是将更多权力交给广大网民的社区工具。BBS以话题为主线组织版面,表现方式是,注册用户在相应的版中发贴,跟贴;Blog是简易的发布系统,以个人为主线组织版面,表现方式是个人主页;Wiki以知识点为主线组织版面,表现方式是,成千上万个志愿者在修改成千上万个文档。

  Blog最强调个人,这个Blog是谁的,是这个Blog的第一属性,所以,个人有动力维护自己的Blog,在自己的Blog上积累;BBS最强调互动,更像广场集会,很多人图得是热闹和一吐之快,积极发言;Wiki最强调共同创作,由无数人共同维护完善一个词条。从这里不难看出,参与Wiki的用户要比参与BBS和Blog的人少得多,可能连1%都不到。Wiki不在于热闹,而在于它的成果——一个不断完善的知识库。享用这个知识库的人要比为这个知识库做贡献的人多得多。

  Wiki的积累性要比BBS和Blog强,BBS和Blog主要积累的是用户,而用户很容易流失,从而影响人气,Wiki主要积累的是条目,所以,它可以稳定地发展,能确保访问量一天比一天大。

接入网络媒体  对于网络媒体来说,Wiki能给它带来的注册用户比之BBS和Blog,可以忽略不计,但Wiki所积累的知识库,却是网络媒多年梦寐以求又还未能得到的宝贵资源。

  理论上,网络媒体可以利用海量存储将所发布的内容积累下来,但网络媒体使用CMS、Blog、BBS所产生和积累的内容,都很难修改,很难关联。最后只好通过搜索,将一大堆结果杂乱地提交给用户,让用户自己去筛选。

  Wiki方式的知识库不仅有序、关联,而且能随时更新、修改、完善,非常适合网络媒体构建知识库。知识库建设是网络媒体相比传统媒体的一个巨大优势。

  网络媒体搭建Wiki最简单的方式是,先创建本网络媒体主题Wiki计划,主题Wiki又可被细化为多个按照网络媒体频道区隔的频道Wiki。比如一个IT门户,主题Wiki计划是IT百科,IT百科又可按照本网站的频道划分被分解为软件百科、硬件百科、网络百科、数码百科、电信百科等。各个百科聚合成IT百科的Wiki首页,各个百科的最经典条目和最新条目又同时散落在各个频道之内。

  由于Wiki知识库一般是以短小的“关键字”形式出现,所以,很容易被提取到频道的相关各处,甚至嵌入最终内容页,用以增加Wiki条目被访问的次数。

  本频道编辑自然是本Wiki的第一批管理员,同时也是Wiki内容编纂的主力,但读者的加入会使Wiki架构更完整庞大,条目更细化、深入。永远不要忽视读者的力量,因为他们相比有限的编辑人数,是无穷多个;永远不要忽视时间的积累,因为相比一个短暂任务,时间面向未来,无穷无尽。

Wednesday, September 21, 2005

又该说说了-----我为什么不再看中央电视台

又该说说了-----我为什么不再看中央电视台 我有话要说

2003年3.15晚会,李咏号召观众同志们积极参与央视对小区物业服务质量的现场短信调查,屏幕上没有任何的短信费用提示,我那时还纯真,发了一条参与节目,回头一看,靠,0.8元/条。央视就这样公然在3.15晚会上坑害消费者,诈骗敛财。借问一句李咏,您点菜的时候菜单上没有价格,您乐意吗?回头一算账,一盘青菜收您10元钱,估计您的马脸得更长了吧。

2003年看周末德甲直播,黄健祥欢迎大家手机短信参与评球,屏幕上照样没有任何的短信费用提示,我那时冲动,发了一条评论,后来发现每周的周二、周四都能准时收到某短信运营商给我的提醒短信“欢迎您继续关注中央电视台的足球周末”,我没当回事就给删除了,3个月后偶然打印话费清单,忽然发现每月有固定的信息定制费用4元钱,才醒悟央视又把我给蒙了,哪有回一条短信就算自动定制的?这样不动声色地骗钱,我仿佛看见央视的领导在某处偷笑的嘴脸,啊呀,赶紧退定,却不料用尽了“zzzz”“0000”等常用的退定方法,均不奏效,我和移动的小姐商量了半天,只好打长途到北京那个咨询台,才算退定了事。

2004年中超第一年,虽然咱们的足球联赛太不争气,但我乡土情结浓重,虽然不太美丽,但毕竟还是自己的东西,还是想关注一下,不料央视不播了,本地卫视也没有(今年才有东方卫视),不但如此,体育新闻连个画面都没有,象广播似的念几句了事。不对吧,想当初你们怎么在《足球之夜》里说的?和中国足球在一起?我倒是想在一起,回头一看,你们怎么都撤了?说足协不争气,这么烂的联赛还想要这么多钱,可你们不是站得挺高吗?不是说中国足球要上去,关键要搞好国内联赛吗?可关键的时候你们却舍不得几个钱,讲起经济效益来了,反过来落井下石,看联赛的笑话,估计领导又在偷着乐吧——还好当时决策英明,没有买联赛转播权。你们的嵩高的公益性的思想怎么说俗旧俗了?不但如此,连国家队也看不起了,05年东亚四强赛也不转了,这一次却压错了宝,中国队不幸爆冷夺了冠军,却与央视无关,少了不少广告收入吧?说是要关注中国足球、引导中国足球,关键时刻却抛弃了本土的东西,崇洋媚外去了。四大联赛固然好,但也不应该忘本呀!而且转的高尔夫球赛越来越多,估计是叫广大没见过世面的老百姓开开眼界吧,看看大款们是如何贵族运动的。

05年9月12日开始,央视2套大张旗鼓地做香港迪斯尼的专题,那个叫做马斌的男主持人卖力地、夸张地、恶俗地做着香港迪斯尼的各项游乐设施的广告,那个只会说“恭喜你答对了”的王小丫同志在香港迪斯尼的好莱坞酒店,住着1000元人民币1晚的房间,给全国观众做着现场报道。我忽然想起,央视2套不是倡导我们节约吗,王小丫同志怎么这么浪费,住这么贵的酒店?他们这一晚上等于多少下岗工人一个月的生活费呀!香港、迪斯尼都不是说去就去的,得有money呀!而中国大陆,能够与王小丫之流共同享受奢华的又有几人?我不能想象多少生活还未小康的家庭,他们的孩子看着王小丫阿姨在香港迪斯尼乐园幸福的笑容,心里是怎样的一种渴望和酸楚!

央视,你鄙视恶俗,你前两天正在播的05年模特大赛,为什么也模仿《超级女声》,用短信得票的多少来决定选手的晋级?你崇尚道德,你的赵老师为什么在生活中出现动物世界的行为?你提倡节约,为什么要花巨款构建大楼?你提倡廉洁,为什么春节晚会的导演却收受从钱到女人的各种贿赂?你提倡百花齐放,活跃老百姓的精神生活,为什么对别人的热播节目如此不能容忍,不许老百姓喜闻乐见?

央视,你到底是公益的还是商业的?你代表的是谁的利益?你关注的是谁的目光?你弘扬的是谁的文化?你关心的是短信和广告的收入,还是天下百姓民生?