Monday, September 26, 2005

中国出稼ぎ計画-完結編 (2005/1/10)

http://www.manachan.150m.com/j_sydney_work118.htm
シドニー日記・職業生活編第118回

中国出稼ぎ計画-完結編 (2005/1/10)



1.年俸交渉大成功!

 2005年1月5日、ついに転職先・ISSC中国との年俸交渉がはじまりました。これは私にとって、生まれて初めての年俸吊り上げ交渉、しかも相手は馴染みのない中国の企業、ということでさすがに緊張しました。

 交渉で勝つためには、まずは相手をよく知ることが先決・・・ということで、年俸交渉に先立ち、できる限りの情報収集はやったつもりです。まず年末から年始にかけて、ISSC中国の人事担当者を質問責めにしました。この間、質問した項目数は全部で38!提示された年俸の各項目(月給、ボーナス、各種手当等)、有給・傷病休暇、福利厚生、中国の税制等について、完全に納得するまで質問を続けました。それだけでなく、所得税や税額控除の試算までやってもらいました(ちょっと図々しい?)。

 また、大連人脈を使った非公式な情報収集も行いました。たまたま、大連オフィスで働く中国人スタッフがシドニーオフィスに研修に来ていたので、彼とアポをとって、ここ数年の大連での給料上昇率や、交渉テクニック(誰と話をつけたらいいか等々・・・)について聞いてきました。それだけでなく、大連現地で働くロバート(「中国出稼ぎ計画第1回」参照)とも連絡を取り、アドバイスを乞いました。

 次に、私が知り得た情報に基づいて、向こう3年間の額面および手取り所得の試算を行いました。すなわち、このままシドニーに留まって同じ仕事を続けるのと、いま大連に転職するのと、どちらが多くの所得(豪ドル換算)を手にすることができそうか?・・・その結果は、次の通りでした。

額面ベースの所得:26.39%のマイナス
手取りベースの所得:2.18%のマイナス
 計算すると、当初の予想よりも「悪くない」数字が出ました。額面はともかく、手取りで計算するとシドニーでの給料とわずか2%しか違わない!大連での生活費の安さを考えれば、もし夫婦ともども大連に引っ越せば生活レベルが大幅にアップすることは間違いありません。それでも私は、「手取りベースの所得が今よりアップすることが転職の条件」というこだわりを捨てたくありませんでした。

 というのも、私が今回大連に転職しても、妻は当面、シドニーで暮らすことになるからです。確かに、いま大連の物価は非常に安く、海の見える2部屋マンションの賃料が月2万円ちょっと(シドニーでは10~20万円!)、バスの初乗り運賃は15円(シドニーだと120円)・・・ということを考えると、私の大連滞在中の生活費は大幅に節約できるでしょうが、それでも、妻はシドニーの物価で暮らすわけだし、加えてシドニーでの住宅ローンも払っていかなくてはならない。さらに、仮に妻が妊娠して産休をとったらその間は収入が途絶えるため、なおさら、私だけの収入で彼女がシドニーで快適に過ごせるようにしなければならない。要は今の生活水準を下げることがあってはならない・・・

 考え抜いた末、私は、年俸の要求額を先方が提示してきた額の約10%増にすることを決めました。もし1年目の年俸が10%増になれば、仮に2年目、3年目の年俸増がゼロでも、3年間の所得通算額を約3%増やすことができる。現時点での手取りベース試算が2%のマイナスだから、それに3%のプラスが加われば、全体で約1%のプラスになる・・・これ以上欲張っても相手が困ってしまうだろうから、この辺で手を打とうと考えたのです。

 1月5日の深夜、私はISSC中国の大ボス(最高レベルのマネジャーで、私の給料決定権を握っている人物)に宛てて、次のような趣旨のメールを書きました。

 ~大晦日の日、ISSCより年俸のオファーを頂きました。その額は、私の希望額より多少低かったけれども、ISSCが私のスキル・経験を高く評価していることを知り、感銘を受けました。とはいえこのオファーでは、シドニーから大連への「大移動」を決意させるには至らないのです。私が希望する年俸は「***,***人民元」(※オファーの約10%増)。もしこのレベルの額が提示されたならば、私は今すぐにでも大連行きを決断します。またこの年俸は、IT業界での私の市場価値を正しく反映するものと考えます~

 翌1月6日の夜、ISSCの人事担当者から早速回答が返ってきました。私は緊張の面持ちで、おそるおそるメールを開けました。そこには、次の趣旨のことが書かれていました。

 ~いま、「大ボス」は出張中ですが、緊急に電話会議を開き、鈴木さんの処遇について話してきました。当社は、是非とも鈴木さんの参画を必要としています。そこで異例の措置として、契約金を倍額にすることを決めました。その結果、当社が提示する年俸は、「***,***人民元」(※オファーの約9%増)になりました。但し、契約金倍額は異例の措置のため、特別な承認プロセスが必要になり、正式な承認が下りるのは来週前半になる予定です。

 ~その他、当社では鈴木さんにBand7(Advisory IT specialist)のポジションを用意しましたが、もし鈴木さんが期待以上の成果を上げたならば、次年度以降、Band8(Senior IT specialist)への昇進会議にかけることを約束いたします。よろしくご検討のうえ、明日までにご回答ください。~

 「大成功!」・・・思わず笑みがこぼれました。そして次の瞬間、私は中国行きを決断しました。実際、このメールを読んで、私は涙が出そうになるほど、心を打たれました。人生意気に感じてしまいました。私の心を動かしたのは、お金ではなく、先方の誠意と熱意だったのです。

 20分ほど、じーんと感動に浸ったあと、私は向こう3年間の所得試算を行いました。その結果は、


額面ベースの所得:24.17%のマイナス
手取りベースの所得:0.40%のプラス♪
 これでついに、手取り所得が今よりプラスになるという条件も満たされたのです!中国で働いて、シドニーでの生活水準も落とさないで済む。妻が妊娠しても、私一人の収入でなんとかできる。そして三度のメシより好きな不動産投資も、これまで通り続けることができる・・・

 加えて、この転職が私にとって明らかにキャリアアップにつながることもハッキリしました。IBMにおける私の今の職位はBand6(IT Specialist)。私はこのレベルで4年もやってきたので、そろそろBand7に昇進したいと考え、折を見つけて直属のマネジャーに相談したり、社内転職にもトライしてきたのですが、残念ながら今のシドニーではなかなか良いBand7の職がない上に、今の部署があまりにも人手不足でなかなか辞めさせてもらえないために、今年度の昇進も覚束なくなりそうな状況です。ところが大連に移れば、最初からBand7の仕事をやらせてもらえるばかりか、成果次第ではBand8への昇進の道も開けるという・・・シドニーに居たままBand8への昇進なんて、今後何年かかることか(下手したら十数年!)?そう考えると、大連への転職は、キャリア的にも「特急券」と言って差し支えないのです。

2.年収400万の諸葛孔明

 私は今回の転職活動で、「三国志」の故事、「三顧の礼」(さんこのれい)を思い出しました。「三国志演義」を読んだ方なら誰でもご存知だと思いますが、紀元3世紀の中国、天下争乱の時代に、当時弱小国であった蜀の君主・劉備玄徳が、「天下一の知略の持ち主」の呼び声高い諸葛孔明を軍師に迎えようとして、遠くにある孔明の蘆(いおり)まで、雪の山道を踏み越えて訪問したり、わずかの時間の差で会えなかったりという、2度の留守にもめげず、3度目の訪問でついに孔明と会い、彼を招聘し軍師とするに至る、という故事です。劉備は孔明を軍師に迎えて以来、多くの勝利を納め、その結果、蜀は魏、呉とともに天下を三分する大国になったのです。

 今回、ISSC中国が私を迎え入れるにあたって見せた誠意も、まさに「三顧の礼」を彷彿とさせるものでした。発足してまだ2年余の若い中国企業・ISSCの各担当者は、私をシドニーから獲得するために、最大限の努力を尽くしました。ところが、今の中国は経済急成長中とはいえ、まだまだITエンジニアに先進国並みの給料を払うことは難しい状況。三国志の故事でいえば、当時弱小国であった蜀の劉備が、諸葛孔明に白羽の矢を立て、是非我が国の軍師になって欲しいと説得するようなものでしょう。孔明としては、もし高給が欲しければ、当時の強大国であった魏(米国)や呉(日本)に行けばいい話です。

 自らの弱点を知り尽くした蜀(ISSC)は、それでも孔明(海外の人材)を獲得すべく、数々の秘策を練ります。その一つが、先進国では考えられないほどの、外国人に対する手厚い税制優遇措置です。例えば、ISSCおよび大連市税務当局のポリシーとして、大連で働く外国人エンジニアに対しては母国へ帰る航空券4往復分、加えて大連でのマンション賃料を所得税から全額控除しますという提案を行っています。これによって、私が大連で働いた場合の実質税率はわずか7~10%となり(オーストラリアではなんと30~33%!)、その分だけ手取りが増えることになります。「確かに、額面ベースの給料はあまり出せませんけど、でも手取りベースで比べてください!」というのが、中国側の宣伝文句なわけです。

 加えてISSCは、外国人に対しては人民元ではなく米ドルで給料を払うという選択肢まで用意しています。人民元はまだハードカレンシー(米ドルや日本円など、海外の通貨に自由に両替できる通貨)ではありませんから、外国人としては人民元で給料をもらっても母国に持ち帰れば紙クズになってしまうことが危惧されるわけですが、米ドルでもらえばその点は安心なわけです。加えて大連の銀行では、米ドル、日本円、人民元の3つの通貨で預金することも可能なようです。大連では外国人が働きやすいように、企業と行政、金融機関が密接に協力していることがよく分かります。

 しかしそれ以上に私の心を打ったのが、私の獲得にあたってISSCの各担当者がみせた熱意と素晴らしいチームワークでした。とにかくスゴいんです。どんな厄介な質問を送っても、たとえ担当者が休暇中であっても、4時間以内に必ず回答が返ってくるんです!しかも懇切丁寧なこと、この上ない。行間を読むと、「鈴木さん、ぜひ中国に来て、当社で働いてください!」という、オーラのようなものさえ漂ってきました。結果的には、これが私をして、中国行きを決断させたといえます。

 ところで、私が中国でもらう年俸ですが、日本円にしたら、大したことありません。というか、どの外国で働いても、給料を円換算したら少なく見えてしまうわけですが、今回の私の場合、年俸交渉は「400万円」をはさんだ攻防になりました。もう少し詳しくいうと、最初に提示された年俸(契約金、ボーナスをすべて含む)は額面で300万円台の後半で、私はそれを400万円台前半に吊り上げるべく、交渉を行い、成功したわけです。

 年収400万円といえば、私が東京でのサラリーマン生活3年目でもらった額とほぼ同じです。私の年収は、それ以来大きく上昇し、東京での最後の年に600万円を超えましたが、それからシドニーに移って現地で就職したので400万円に下がり、それから為替レートの関係もあって、4年かけて500万円余まで上昇し、今回の中国への転職で400万円に再び下がる・・・という感じで推移してきました。社会人12年目の今、3年目と同じ給料(円換算ベース)しかもらっていないのですから、我ながら「俺って一体何やってんだろ?」という気にもなります。

 ですが、今年もらうであろう400万円余の年俸には、非常に大きな意味が込められています。中国側が「三顧の礼」を尽くして、精一杯の誠意をみせた結果がこの数字なのですから、私はそこに、先方の大きな期待をひしひしと感じています。私は是非とも、「大連でもらう400万円」にふさわしい成果をあげたい。ISSCのビジネスを成功させるための力になりたい。私をあの諸葛孔明になぞらえるのは、少々おこがましいのかもしれませんが・・・それでも思うのです、「俺は400万もらって、諸葛孔明にでも何でもなってやる!」。 


3.新しい働き方:「外国人知識労働者」

 ところで話は変わりますが、ここオーストラリアでフルタイムで雇用されている日本人は大きく分けて、「駐在員」と「ローカルスタッフ」に分類されます。ここで駐在員とは、「日本で雇用されて社命でオーストラリアに来て働く人々」のことを、ローカルスタッフとは、「個人としてオーストラリアに移住してきて、現地で就職して働く人々」のことを指します。私自身、この国ではずっとローカルスタッフやってきました。シドニーに移住して、オーストラリア人と同じ求人広告を見て、彼らと同じ条件で履歴書を書き面接を受け、彼らと同じ条件で働いてきたのですから、ローカルスタッフ以外の何者でもありません。

 ところで、私が今回中国に行って働く際、現地では「駐在員」と「ローカルスタッフ」のどちらになるのか?というと、そのいずれでもないという気がします。もちろん、駐在員ではありません。社命で中国に派遣されるわけではありませんから・・・それではローカルスタッフなのかというと、そうでもない。現地の中国人と同じ条件で雇われるわけではなく、あくまで「外国人」としての特権的な身分で雇用されるからです。

 以前、某英文経済雑誌で読んだ話ですが、現在中国は、外貨準備高で日本と世界1、2位を争うほどの金満大国になり、それに伴って中国企業の間で、有り余る外貨を使って、外国人のマネジャーやエンジニアをヘッドハンティングする動きが目立ってきていると・・・

 私の場合も、大きく言えば「中国企業にヘッドハンティングされた外国人知識労働者」に分類されるのでしょう。駐在員でもローカルスタッフでもない、「第三の働き方」がここにあります。ある意味、中国が経済大国として台頭しつつある、いまの時代を象徴する存在なのだと思います。

 我々「外国人知識労働者」の給料は、おそらく、駐在員とローカルスタッフの中間に位置すると思われます。ローカルスタッフよりはずっと優遇されているけれども、それでも日本などから来た駐在員ほど良い給料をもらうわけではない。JETROが出している「大連に暮らす」という本によれば、ローカル(地元民)用のマンションが月1~2万円の賃料なのに対し、駐在員用のマンションは月10万円以上、一戸建てになると月60万円程度の賃料になるという!もちろん、駐在の方たちは自分の給料からこんな多額の家賃を捻出するわけではないでしょうが(会社が払ってくれているはず)、家賃補助のない私の場合、こんな「贅沢」は到底できません。ローカル用のマンションを借りて住むだけです。

 だから、(仕事や私生活はともかく)少なくともお金の面だけでいえば、駐在員はちょっと羨ましい。これは、シドニーでローカルスタッフとして働いていた時も感じていたことです。とはいえ、このITエンジニアの仕事を続ける限り、駐在員なんてたぶん一生なれないだろうな、という気もしています。

 ITビジネスは、基本的に世界のどこでも、ITインフラとエンジニアさえあればできてしまうものです。賃金水準の安い発展途上国でも、その気になれば商売できてしまう。だから恐いのです。先進国でITエンジニアをやっていれば、途上国と競争しなければならない。競争に負けないためには、より高度な技術を使い、緻密な開発プロセスを編み出し、新しいビジネスモデルを開拓するなど、いろいろやらなければならない。でもそれが難しい。ここオーストラリアでもいろいろ試みてはいるけれど、それが実を結んでいるとは言い難い。

 そんな仕事だから尚更、先進国の給料にさらに手当を上乗せしてもらって海外駐在するなんてシナリオが思い浮かばないのです。要は、「わざわざ高い給料を払って先進国の人間を使うより、安い途上国のエンジニアを教育して使おうぜ!」ということに必ずなるのです、この世界は・・・

 ITエンジニアをやりながら、時には海外で働いてみたい、でも給料をある程度以上もらって、快適な暮らしをしたい・・・そんなわがままな願いを持つ私が、いろいろ模索した結果、たどりついた一つの結論が、「中国での外国人知識労働者」だったのかもしれません。いま中国で働くには、ローカルスタッフ並みでは給料低すぎる、かといって仕事柄、駐在員にはなれそうもない。しかし運良く、中国経済の目覚しい発展があって、その結果「外国人知識労働者」という新しいカテゴリーが生まれ、私がいいタイミングでそれにあやかることができた・・・というのが、今回の「中国出稼ぎ計画」の結論なのかもしれません。

4.おわりに

 これは自分自身に対して戒めていることですが、転職が決まった!からといって油断は禁物です。どの会社、どの国であれ、新しい職場や仕事に慣れるまでの期間というのは、実にツライものです。特に、今回のように大きな期待を背負って迎え入れられる場合は、プレッシャーも相当なものになるでしょう。

 社会人になって、まる11年。私はこの間、3回転職しましたので、これで4社目の勤め先になります。しかも3ヶ国目の職場(日本、オーストラリア、中国)ですので、我ながら「よく動くもんだよなあ~」と感心してしまいます。

 あちこち動き回る暮らしには、もちろん苦労も多い。それでも、動くことこそが私の人生であり、私に最も相応しい生き方なのだと思っています。移り変わっていく景色の中で、いろんな人と出会い、別れ、その喜びも悲しみも辛さも全身で受け止めながら、常に前に進み続ける旅人でありたい。そして、新しい変化があるたびに、常にワクワクしていられる、素直な童心を持った大人でありたい。

 中国大陸の地で、これから新たな人生がはじまる・・・

No comments: